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053 「夢に見そう」 10月31日



さっき郵便局の深夜窓口で荷物の発送手続きをしていたら、正面に巨大なベンツが滑り込んで来た。
車から出て来た男は身長190cmくらい。黒いダブルのスーツを着て、顔と体格は曙のよう。
ヤクザだ。
さーっ、と局内の空気が変わる。
手には自転車が入るほどの大きなナイロンのバッグ。
子供なら2人は運べそうだ。
どすんとカウンターの上にバッグを置く。局員の顔は引きつる。
以下、会話。

Y「この荷物、送ってくれやぁ」
K「このまっ、このままですか」
Y「そうや。なんか文句あるかぁ」
K「いえっ、これだと発送伝票がはれまっ、貼れませんので」
Y「そんなもん、工夫せいや」
K「はいっ、でっ、送り先は国内ですよね」
Y「香港や」
K「そっ、それだと鍵を付けていただかないと盗難の恐れとかが .....」
Y「ほう」
K「とっ、ところで中身は何んでしょうか」
Y「それは言われへん」
K「 ............. 」
Y「ワシも見てへん。この荷物預かってそのまま持って来たんや。見たらなぁ、ややこしい事になんねん。分かるかぁ」
K「でっでっですが、中身を言っていただかないと ... 」
Y「そこを何とかやってくれって言うとんじゃぁ(もっともドスの効いた低い声で)」

僕はそこで郵便局を出た。
これ以上、そこにいると僕までとばっちりを受けそうな気がした。
Y「お前は用もないのにいつまで話を聞いとんじゃぁ!」
その可能性はかなりある。こっそりと郵便局から脱出。

でもあのバッグには何が入ってたんだろ、と夜道で考える。
見たらややこしくなるって、何だ。
あー気になる。
やっぱ聞いとくべきだったかなぁ。

 

 

052 「雨の島」 10月30日

 

昨夜見た雨はきれいだった。

スタジオを出たのは日付けが変わった頃。
ぽつぽつと降っていた雨は次第に傘の表面を強く叩きだした。
サーッ 、という音が穏やかに広がって、見渡す街に紗がかかったみたいに、一瞬にして世界が変わった。
雨の降る光景を美しいと思ったのは初めてのことかもしれない。

雨なんて大嫌いだった。
遠足は延期になるし 、バイクに乗ったらびしょ濡れだし、風邪はひいちゃうし。
でも車に乗るようになったから、嫌いだった雨がまんざら悪くないと思い始めた。
雨の中には静けさがあった。
実際は音がしているわけだから、静かなはずはないのだけど、
リズムが単調なせいか、生理的な感覚のせいか、分からないけど静かな気分になれる。

昔、少しだけいた外国はもともと砂漠だから雨が降らない場所で
初めて降雨は日本を出てから、半年くらいが経ってからだった。
もうすっかりホームシックも消え去って、 向こうの感覚に慣れていたつもりでいたのに、
その音を聞いて、何だか込み上げてくるものがあった。
雨音は緊張しながら生きている僕のタガをいとも容易く外してしまったのだ。

雨があって、晴れが続いて、また雨が降る。
晴れの日が待ち遠しい。
何だか生きていることによく似ている。

 

 

051 「実写って、信じられない」 10月27日

スタジオ近くのギャラリーに写真展を見に行った。
野波 浩氏。
劇団新感線や宝塚歌劇のポスター、江角マキコ写真集でも知られている。

写真は圧巻だった。
限りなく美しくて、同時に恐い。
美し恐いから、目が釘付けになる。
進化に失敗した違う人類を見ているみたいだ。
失敗と言うのは僕側の立場からの意見だから、向こうから見たら僕たちが失敗作なのかもしれないけど(笑

美しくあることと存在感は別物だと思っていたが、
その二つが同居することが最も力強いのだということに気付いた。
そしてその完成度の高さは自分の戒めにもなった。

ただ残念だったのは、もちろん本人も在廊しないし、
スタッフは何を聞いても分からなさそうな学生風だし、
バックヤードからは笑い声が聞こえる。
もう少し「見せる」ということに配慮があれば、もっと良かったのに。
ギャラリーが持つ、温度のようなものを感じてみたかったです。

 

 

050 「It depends on you」 10月26日

メールが届いた。
開いてこれは誰かとしばしの時間、考える。
学生時代の友人からだった。
「HP見ました。いい感じだね。俺が広報だったら、仕事をあげるのに」

彼とは長い間、連絡をとっていなかったから、偶然、僕のHPにヒットしたのだろう。
自動車メーカーに就職し、本社、長野を経由して
、今は東京にいるらしい。
メイルにはアルファロメオとバイクのBMWを乗り回している、と書かれてあった。
学生の頃の趣味を未だ、続けているのだ。

彼とはよく旅に出た。
そういえば写真に関心を持ったのも始めたのも同時期だった。
そして彼はバイクを乗り続け、僕は写真に夢中になった。
同じような境遇の二人が、ちょっとした関心の違いで大きく生き方を変える。
不思議だなぁと思う。

でも初めてバイクに乗った時の感動は忘れられない。
中学生の頃から、ずっと自転車で旅行をしていたから、
あのアクセルをクイッとひねるだけで、バイクが走り出したことにはかなり興奮した。
炎天下の山道を立ちこぎする必要もないのだ。
もうどこにだって行ける、と思った。
何だか自分に翼でも生えたかのように、自由な気持ちになれたことを、とてもよく覚えている。
翌年、17才の夏にひとりバイクで北海道に行った。
高校3年の時には渡米する計画を立てたけど、これは結局、叶えられなくて、翌年にアメリカ行ってバイクを買った。
若さゆえ、物事に対する恐怖なんかなくて、できないことはないって本気で思ってた。
もう今思えばメチャメチャだけど(笑)、でも純粋だったのだ。

頑張ればできることでも、自分ができないと思ったら、きっとできない。
限界を決めてしまうのは自分自身なんだろう。
僕は「しぶとくやればできる」にまだ賛成中。

 

 

049 「雪とムービー」 10月25日

ちょっと告白してしまうけれど、実はムービーにかなり関心がある。
でも そう思い始めて一年以上になるかなぁ。
ずっとムービーの資料を集めて、どんな機種があるか、僕の求める絵柄にはどれくらいのクオリティが必要か、
そして何より、僕はムービーが撮れるのか、ということをずっと考えて来た。

ほんとはちょっと試しに簡単なムービーを買えばいいのだけれど、
それを躊躇しているのは、写真以外のものに多くの時間を裂いてしまうことになるだろう、という不安からだ。
ここ一年は僕にとってフィルムからデジタルに変わる過渡期だった。
もっともデジタルに集中しなければいけない時に、ムービーを始めるのもどうかなぁ、と思っていた。
でもやっと自分の中でもデジタルが特別なものではなくなったし、
少しは他のことを考えられる余裕ができて来た。
そんなわけで最近はずっとムービーの資料を見てる。

ただ最も大きな問題は文頭でも書いたように、僕にムービーのセンスがあるのか、どうかと言うことだ。
最近は時間があったら、頭の中でイメージできる光景を繋ぎ、切り離し、そしてまた繋いでいる。
音楽、人の声、ノイズ、バイブレーション、タイヤのきしむ音。
ビッグボリューム、無音、葉の揺らぎ、低い音色の弦楽器、夏の鐘音、虫の声、波が砂浜に消えていく音。
グラスの音色、蝶ネクタイのオーケストラ、黒いビロードのドレス、夜中の街で叫ぶ。
船の舳先で青白く光る夜光虫 、冬の満月、鏡面の海。
船上から朝日を見た時の凶暴なる風の音。

今年の夏も撮りたい光景がいくつかあった。
でもムービーを手に入れるタイミングを失ったまま、気が付いたらすっかり秋になってた。
去年の冬も思ってたけど、雪の降るシーンが撮れないかなぁ、と思っている。
たしかあの時は夜中にスタジオを出たら、雪が降っていたのだ。
それも嘘のようなスローモーションで。
風が全くなかったせいか、白い粉雪が宙を浮いているみたいに見えた。
水銀灯を背景にして、僕はしばらくの間、それを見上げていた。

僕がムービーをやりたいと思ったのは結局のところ、
連続する映像の方が伝え易いことがらがある、ということに気付いたせいだと思う。
もちろん写真の魅力も分かっているつもりだ。
だけどもし僕がムービーを上手に操れるようになれたら、
もう少しだけ伝えられることが多くなるような気はする。

 

 

 

048 「no contorol !」 10月23日

朝、起きたらノドが痛かった。
顔が腫れぼったい。
鏡を見たら、顔がむくんでた。

夕べは深夜に帰って来て、現像所近くのあっさりラーメンでも食べるか、と思ってたら早々に店じまい。
しょうがないのでコンビニでカップ焼そばを買って、スタジオで一人食べる。
夜中の一時に。
バッハを聴きながら。
でもなんてうまいんだと感動。
まあ、腹が減ってたというのもあるんだけどね。
疲れてたから濃い味を求めてただろうし。
でもその辛さのせいで水をたらふく飲んで、顔が腫れたのだ。

ロケ先からスタジオまで3分の2の道は、チンチン電車の線路が敷かれてある。
電車と並走するのは苦手だけど、昨日は遅かったせいか、電車の姿もなく、線路の上を走って帰って来た。
その方が振動がないのだ。
でも全然ブレーキが効かなくて、交差点でオーバーランしかけ、ちょびっと焦る。
ただでさえ機材が多いから、なかなか車も止まらない。
なにしろ夕べは10ケースの機材だ。
5人乗りのワゴンなのに乗れるのは僕一人。

この大荷物による束縛にはいつも閉口する。
カメラマンの宿命かもしれないけど、もう少し何とかならないものかなぁ。
機材がなくて、表現が狭められるというのは嫌だけど、
でも少ない機材を熟知した方が、 可能性が広がるという気もしないでもない。
理想としては勇気を出して、これはするけど、あれはしない、とはっきりと言うべきなのだろう。
何でもやれますよ、なんて言ってると、どんどん 機材は多くなるし、出費もすごい。
結局、何でもやれますよ、イコール、何にもできない、ということなのかもしれない。
本当にできることは、ひとつとは言わないが、それほど多くないと僕は思う。


 

047 「豊かさと写真」 10月20日

 

昨日、今日は梅田にできたブランドストアのPR撮影。
一階にあるショップでは入場制限のためか、50mほどの行列ができている。

天然資源はないけれど、日本は豊かな国だと思う。
いくら不景気だとはいっても仕事を選ばなければ、失業もないし、餓死する人もいない。
一部のブランド商品は飛ぶように売れるのだ。
そんな不景気の国などない。
もちろんお金を持っている人と、そうでない人の差はあるかもしれないけど、
贅沢をしなければ、普通に生きていける。たいていのケースは。

昔、フィリピンのマニラで小さな子供たちに囲まれたことがある。
みんな、ぼろ布のような服をまとい、手には封を開けたアメリカ製のたばこを持っている。
何本もの小さな手が僕の眼前にたばこを突き出す。
買ってくれ、買ってくれ、というその顔は悲壮感に満ちている。

今晩、ご飯が食べられるだろうか、と考えてる人は写真など撮らない。
僕にとって写真は生き様ではあるけれど、 それができない状況が死に直結するわけでもない。
睡眠欲や食欲のような絶対欲をクリヤーした残りの部分で、僕たちは写真のような夢中になれるものに没頭できる。
もちろん命を削ってものづくりするような人も、例外的にいるのだけど。
でもそれは結局、豊かな国に住んでいる人に限られる。

写真という趣味みたいな仕事でお金を貰って、いつも申し訳なく思う。
ホントはプロなら、こんな言葉を書くべきではないし、それだけの技術と機材を使っているのだから当然、と胸を張るべきなのだろう。
もちろん仕事だから時には嫌なものも撮らなきゃいけないし、大変な現場もたくさんある。
それでも単なる労働ではなく、僕の「感覚」に仕事を依頼してくれるのは、とても嬉しい。

豊かさの恩恵はたくさんあるけれど、
でもその言葉の意味を見失わないように、といつも思ってます。

 

 

 

046 「解答」 10月17日

キンモクセイの香りがここのところ、スタジオ周辺で漂ってる。
今日もパスタを食べにビルを出ると香った。
あちらこちらを見渡すが発見できない。
きっとビル風に乗ってどこからか運ばれて来てるのだ。

五感は記憶と連動していることが多い。
昼間は暖かいのだけど、ぐっと冷え込んだ朝。
そこにちょっとした湿度があれば、僕は昔、少しだけ住んでいた外国を思い出す。
そして何だか不安な気持ちが甦ってくるのだ。
もちろん現在が不安なわけではなく、
当時、一人で異国にいたときの気持ちへ、一瞬にしてフラッシュバックする。
かなり時間が経ったから、今となってはいい思い出なのだけど。

そういえば忘れられない音があった。
僕は昔、アメリカ大陸を車で1万キロ走ったことがある。
5万円で手に入れたオンボロのダットサンだったが、今思うとかなり無謀な旅だった(笑
その夜もずいぶん疲れ果てていた。
何しろ毎日に何百キロも走るのだ。
半ば、ぼーっとした気持ちで夜の森を走っていた。
すると突然、林の中から動物が飛び出して来て、それはドンドンと音を立てて、僕の車の底を転がっていった。
その時、足に伝わった振動の感触は今でも思い出せる。
僕はUターンすると車を降りて横たわる動物の元へ駆け寄った。
つややかな毛並みをしたシルバーフォックスが、少しだけ目を開けて、大きく息をしていた。
なんでもっと集中して運転しなかったのかと後悔したし、ひざは震えていた。
車がやって来たので、僕は慌ててそれを抱え上げると道路の脇に寄せた。
そのキャンピングカーは停車し、中から男性が降りて来てキツネを見た。
どうするんだ。病院に連れていくのか、と彼は言う。
次の町まで100キロ。
苦しむ動物を車に乗せ、深夜に到着した知らない外国の片田舎で動物病院を探し、そこに連れていくということ。
それを考えた時、僕は絶望的な気持ちになった。
彼は何も言わずに車に戻ると小さな拳銃を手にして帰って来た。
僕はキツネの頭に銃口を向ける彼を静止し、このままにしておきたいと懸命に主張した。
でも彼は、このままだと苦しむだけだから、殺してあげた方がいいんだ。 お前が悪いわけじゃない、気にするな、と言った。
僕は立ち上がって夜空を見た。
とてもそんな光景を見ていられなかったのだ。
パーンという火薬の音が森の中に響いて、夜空に抜けていった。
「ドンウォーリィ、テキイーズィ!」
彼は僕の肩を叩くと車のクラクションを鳴らしながら、走り去った。
静かになった森の道の真ん中で僕は立ち尽くす。
視界の端の暗闇にはキツネの影が見える。
僕はそちらを見ないようにして、車に乗り込み発進させた。

この時にした選択について、僕は今でも考える。
本当はどうやってでも病院を探すべきではなかったのか。
そうしていれば、こんな気持ちを今なお、抱えていることはなかったのだ。
でもそれは僕のわがままなのかもしれない、とときに思う。
何しろキツネは苦しんでいたのだ。
早く楽にして欲しいと彼は思っていたのかもしれないのだから。

あれ以来、拳銃の音は耳にしていない。
もしまたパーンという火薬の音を聞いたら、僕はあの夜のことを思い出すのだろうか。

 

 

045 「new content」 10月15日

新しいコンテンツが追加されました。
photo3というファイルです。
以前から写真が少し大きいという声を聞いていたので、今回はやや小さめに。
OSによって見え方がぜんぜん違うので、どれが適したサイズなのか、決めるのは難しいですが
ちょっと見易くなったのでは、と思っています。
もしこれで問題がなければ、photo1/2もサイズダウンしていこうと考えています。

いつも不思議に思うことはフォトショップで作った写真をHTMLに載せたら、色が変わってしまうということ。
なぜなんだろ。
まあ個々のモニターも色が違うわけだし、かなりアバウトなメディアだろうとは思いますが。
こんなものなのかな。

そして「自然写真」あがってきました。
うーん。微妙。
どうだろ。これでいのかな。
ちょっと、でかくしないとわからないな。
うーん。どうしよ(笑

 

 

044 「natural chain」 10月13日

 

いやー、神様はいるね。
久しぶりにそう思った。
いつもは最悪のケースに遭遇するたび、「神様なんか、おるかーっ!」って叫んでるんだけど(笑
今日は神様の御慈悲に触れた気がしました。
おー、メルシー。

11月に出展する「自然写真展」の撮影に行ってきました。
シノゴをリュックに入れ、でっかい三脚を持って、奈良の春日山原始林まで。
もう姿は茶髪の山岳カメラマンのようで、 なんでこんなに辛いの、という感じ。
撮影場所は広大な原始林ではありますが、狙っていた被写体はとても小さい。
僕がずっと探していたものは、昆虫の死骸です。

ここのところ、ずっとネイチャーの意味を考えていました。
ただ分かっていたことは、たんなる風景写真ではなく、
僕の解釈においては、風景なんてまったく無関係なことなのかもしれない、とも思っていました。
僕にとってネイチャーとは、目視するものではなく、もっと摂理としてピュアな部分。
生まれては死に、土に還って、また生まれる。
当たり前の自然の連鎖の中に、人間がもっとも怖がる死が含まれていること。
でもそのことは摂理として、森の中では捉えられている。
無数の死と無数の生。
生と死が背中合わせで、その中で循環している世界。
広い意味合いで言えば、そのイメージが僕にとってのネイチャーであり、自然であるような気がしました。

というわけで、別に昆虫でなくて、植物だったり、シカだったり(これは恐いか)でもいいのだけど、
昆虫がシンボリックでいいかなと思いました。
で、セミの死骸くらいあるかなぁ、と思っていた僕が甘かった(泣
これがまったくない。
もうそんな季節ではないのだ。
おまけに春日山は世界遺産に登録されたものだから、おばあさんたちが「これでもかっ」っていうくらい
竹ぼうきで掃除してて、なにも残っていない。
そんな中、もう斜光になって、日も暮れようかという頃になって、奇跡的に発見しました。
かっこいい昆虫の頭。
もう撮りまくりです。
オレって超ラッキィ!

でも今、スタジオでそのポラを見てる。
あれ、こんな感じだっけ。
もっと、なんか、こう、すごかったような気が ......
これって.....ひょっとして......イケテ .......ない?
どうしよ ....
 。

 

 

043 「曖昧さの魅力」 10月11日

 

夕方間近になって、抜けるような青空になった。
黄色がかった斜光がビルの間から差し込んで、国道をゼブラのように照らす。

市内に戻り、西の空を見れば、空はガラスのように深い青さ。
雲がマゼンタかかっている。
いちばん赤いところで30Mだ、と思った。
完全に職業病。

なんだか南の島の夕暮れみたいだな、と僕は言った。
冬の空にも見えますね、とアシスタント。
ああ、たしかにそうだ。
南国の夕日と冬のそれとはとてもよく似ていた。
そんなこと今まで気が付かなかった。
同じものを見ても人によって、まったく感じることが違うのだ。
夏と冬だからね。

写真を撮ってても、そんなことってあるんだろうな。
写真は映像と違って時間の経過や説明が苦手な分、誤解は多いんだろう。
でも感じ方が人によって違う、という点がまた面白いのかもしれない。
絶対的な言葉と違って、写真は曖昧であり、見た人の数だけ解釈がある。
過去も未来もなく、その写真が撮られた「写真上の現在」しか基本的には見れないわけだから
人はその写真から、「過去/現在/未来」を想像する。
それが楽しい 。

 

 

042  「自然写真展」 10月10日

 

11月にビーツギャラリーで「自然写真展」という名の展覧会がある。
ものすごく簡単に言えば、ネイチャーフォトということになるのだろうか。
僕も出展しなくてはいけないので、時間があったら、そのことばっか考えている。
ちょっと苦しい感じ(笑

ネイチャーを写真分類したなら、オーソドックスではあるけども、どんな人にも受け入れてもらいやすい王道だ。
色や光の美しさ、安定した構図、きれいなトーン。
でも今の時代の流れからすると、完全に逆行しているような気がしないでもない。
ものすごい失礼な言い方をすれば、これはかなりダサイ種の写真だと思う。
ただ風景写真家の中には昔ながらの方もいれば、新しい風を感じさせてくれる作家も少数ながら存在している。

カレンダーに使われるような風景写真は誰も望んでいない。
そんな写真は貸しポジ屋にうんざりするほどあるのだ。
もっと撮り手の心の揺れや、企みなどが反映される方が面白いし、実際そうあるべきだと思う。
風景写真の概念にとらわれない自由で 、もっと伸びやかなものを。
そこに写ったきれいな風景に目を奪われるのではなく、
撮り手の目線が見た人に届き、感じられること。
そう考えないと僕たちが風景写真と向かい合うとき、考えることは
「美しさ」というひとつのフォーマットを追い求めるハメになる。
僕たちの写真は鋳型ではないし、当然、個性があるのだから、それをかたちにすべきだと僕は思うのだ。

さあ、だからと言って何ができるかが問題だ(笑
相変わらず苦しんでいる。
かっこいい言い方をすれば、写真は答えだ。
撮り手が考えを巡らせて、ある解釈の元に出した答えが写真だと思う。

11月、どんな写真を出展してるのかなぁ。
以外と正統派の風景写真だったりして。
みんなを前に「 なんだかんだ言っても、やっぱ王道だよ」とか、言ってたりして。
うん、このままだと可能性はあるな( 笑

 

041 「求められていることは何ですか」 10月6日

 

当然のことなのだけど、若い子たちは自分たちの未来を想像しながら、悩んでいるように見える。
僕たちは会社員ではないから、誰かが何かを用意してくれるわけでもなく、
どう生きていくかという舵取りをするのも自分自身だ。
選択肢が多いぶん、迷うこともたくさんあって、悩んだり、考えたりすることは当たり前のプロセスだと僕は思っている。
物事は基本的にうまくいく試しがないから、いろんなことにぶつかって、挫折して、でもまた勇気を出してトライしてみる。
そんな繰り返しだと思う。

ただちょっと不安に思うのは、まったく見当違いのことをやっている子に出会ったときだ。
どう考えても今やっていることが、未来に結びつきそうにない。
でも夢は語る。

仕事とは何かを求められることだから、僕たちが考えなきゃいけないことは、
どうすればそれに応えられるか、ということ。
応えられるようになるためには、今、何をしなきゃいけない、ということを
逆算して考えることが必要だと思う。
大切なことは客観的な目線、そして運です(笑

 

 

 

040 「やっぱポジきれいだな」 10月5日

相変わらず仕事をし続けている。
おまけに先週からずっとポジでの撮影。
メーターで測ったり、フィルター入れたり、たくさん枚数を切ったり、
やらなきゃいけないことがあって、ずいぶん忙しい。
ここのところ、ストロボなんてほとんど使ってなかったけど、
どうしても全体の光や色を揃えなきゃいけなかったので、
今回はストロボとポジです。

考えることは多いけど、どんなコンディションでも統一感を出せるので、ある意味、楽だ。
それにホリウチカラーの人が現像してくれる。
加工しなくても色見本を作らなくてもいいのだ。
おかげで少しでも寝られる。

でもやっぱりストロボは難しい。
難しいというか、太陽光と馴染ませるのは大変です。
窓辺に立つ、人物のシャドーを壁バウンスで優しくおこしたところで、色も光質も違う。
かといってサブロクほどのレフ板をロケに持っていくというのも現実的ではないし。

ずっとデジタルをやっていたせいで、今回ポジの難しさも分かったし、
逆にポジを使って改めて、デジタルのある性質を実感できた。
デジタルは見たそのままが、その瞬間に撮れる。
ストロボも三脚もいらない。
撮りたいと思った瞬間の衝動を叶えられるのだ。素敵。
じゃあ、それでどんな傑作が撮れたの、といわれてもそれは困る(笑
まあ、でも自由になれたかもしれない。
少なくとも撮れなさそうだから、撮らないということはなくなった。
ひょっとしたら撮れるかも、といつも思う。
デジタルを使うときはちょっぴりワクワクするし、
可能性の枠はほんの僅かかもしれないが、でも確実に広がった気はする。

でも加工しなくてもいいポジは魅力だな(笑

 

039 「back to the basic」 10月2日

 

ポラロイド690をオークションに出品しようと相場を調べたところ、
落札2時間前で10万円を超えてた。
じゅ、じゅうまんえんっ! て感じ。
もう売ります、売ります!

僕のはそこまで程度がいいわけじゃないけど、かなりきれいなボディだ。
でも買った値段は2万円そこそこなのに、知らないあいだにプレミアが付いてたんだ。
なんかどれだけ値上がりするか、楽しみだなぁ。

機材もかなり出品したので、心なしかスタジオが広くなった気がする。
たくさんのものをオークションに出したのは、新しい機材を買うためということもあるが、
それ以上に少し荷物の整理をしたかった、というのが正直なところ。
あまりにも荷物が肥大化してしまったので、シンプルにというか、もう一度原点に戻ってみたかった。
現在の僕が本当に必要なものだけを揃えて、その最小限の機材の中で工夫をし、
フリーになりたての頃のように緊張して、そしてある部分ピュアでいたいのだ。

最初はカメラ1台とレンズ2本しか持ってなかった。
カメラが壊れたらどうしよう、と不安を抱えつつも写真を撮り続けた。
本当にシビアな撮影のときは、昔、在籍していたプロダクションから、こっそりスペアカメラを持ち出したり。
今からすると全然緊張するような仕事じゃないのだけど、当時は僕なりに大変だったのだ。
でも今よりか、充実感があったかもしれない。
もちろん当時より今の方が上手には決まっている。
仕事のプレッシャーも比較にならない。
でもうまく撮れたり、プレッシャーがあることと、充実感はまた別のものなのだろう。
難しくてもどうにかなる、と思っている今と
簡単なことだけど、僕にはできないかもしれない、と思っていた昔の気持ちは、別にどちらがいいというものでもない。
経験は積み重なっていくのだから、しょうがないことなのだけど、
身近にいる駆け出しの子たちが、どうでもいいようなことを不安そうに考えているのを見て、
自分からそんな感覚が消え去っていたことにふと気づいた。
もちろん当時はヘタなのだから頑張るしかないし、そしてその結果が決していいわけでもない。理不尽だけど。
いろんなことを上手に実現できるわけではなかったけど、
いいものを作ろうとする思いだけは、今より強かったのかもしれない。
そうして思いがいっぱい詰まった、「すごく頑張りました」という写真が出来上がる(笑
でもそんなピュアな部分はとても大切だと思う。

昔は自分のことが何にも分からなかったから、何をしたらいいのか、何が必要なのかもやはりわからなかった。
でも今は可能性が少なくなった分、ずいぶんと選びやすくなった。
もうそんなにたくさんのことをしている時間もないし、
できるだけひとつのことに集中できる環境をそろそろ考えていかなきゃ、と思ってる。

 

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