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063 「数年ぶりの上京」 11月30日

 

明日から4日ほど東京に行ってきます。
別にこれといった用事があるわけではないのだけど、友人と会ったり、
ちょっと違った空気を感じられれば、と思っています。
昔はよく上京したのだけど、ここ最近、どうしても休みが取れなくて長い間行きそびれていた。
上京はたいてい、営業することが目的で
知らない場所の知らない人にアポを取り、東京を右往左往する。
決して楽しいものではないし、どちらかと言えば憂鬱だ。
でもカメラマンとして、どうしてもやってみたい仕事があったし、
もちろん関西在住だから制約があるにせよ、幸運なことにいろんな仕事をさせてもらった。
そんなふうにして知り合った友人がたくさんいる。

東京の友人と話をしていていつも思うのは、考えてるユニットの枠が僕たちよりもかなり広いということだ。
そして深さも結構ある。
それぞれの地域性があるから、人によって好みはいろいろだし、
小さなコミュニティの方が居心地がいいのも確かだ。
でも僕にとって深さを追求できるのは、かなり魅力的なこと。
そんな話をしていると結構な刺激になる。
ああ、もっと頑張らなくちゃな、と思う。

それ以外は好物のそば屋をはしごしたり、なかなかお目にかかれない機材を見たり、
時間があったら湘南にでも行ってみたいなぁ。
でも湘南の友人はちょうど東京でカンヅメみたいだから、 ひとりで江の電にでも乗るか。
なんだかちょっとした旅行みたいで楽しみだ。
でも帰ったら、かなりタイトなスケジュールが僕を待っている(笑
まあ、無理やり時間を作ったから、しょうがないけど。
では行ってまいります。


 

 

 

062 「買う?買わない?」 11月28日

 

食あたりの調子が一瞬よくなったかなぁ、と思って油断してたら、また悪化。
なかなか治らないものだなぁ。
今日はスタジオでデータの処理をしたり、溜まったメールの返信を書いたりと、
と穏やかな休日を過ごしています。
窓から差し込む光がとても心地よい。

実はデジタルカメラを買おうと思っていて、仕事の合間にメーカーのHPをチェック。
いつでも持っていける作品用だから、小さくて軽いの。
ムービーも気になる。
でもそれ以前にほんとに持って行くかなぁ、と自分を疑ってる。
かつて買った作品用のカメラは、すぐに飽きられてその辺に転がっていた。
性格的な問題だと思うのだけど、どうも日常の中で写真を撮るのが苦手だ。
なんだか集中しきれない、というかカメラも仕事用と比べたらアバウトなものだし。
本気で撮ると決めた状況で集中しないとダメみたいだ。
なんかちょっとついでに撮る、ということができないんだなぁ。

仕事のカメラだったらシビアなピント合わせやアオリを使ったり、またカメラとは関係ないけど
理想のライティングを組んでみたり、とにかく自分がベストだと思った時点でシャッターが切れる。
作品用のちっさなカメラだからといって、機能的にできないことがあるのはもどかしい。
それに目の前に現れた光景よりも、与えられたものをいかに自分なりに構築していくのか、ということの方が好きみたいだ。
そう考えると小さなカメラでスナップというのは好みからずれている。

でも日常には魅力的なシーンがたびたび訪れるのは事実だ。
それになんだか新しいカメラはこれまでになかった写真が撮れるのではないか、という可能性に満ちている(まあないけど)
つまり何と言うか、結局は新しいカメラが買いたいのでーす!
きっと新しい写真なんて撮れないけど、すぐにその辺りに放り出すかも知れないけど、
でも今はちょっと気分を変えて写真を撮りたい感じです。

 

061 「女優」 11月24日

 

いわゆる有名人と呼ばれる人たちには、独特の佇まいがあるケースが多い。
一般的にはオーラと呼ばれるものだと思うけど、でもそれがない有名人もいたりする。
その違いは何だろうとずっと考えてて、僕なりの解釈によるとそれはエネルギーを放出しているか、どうかということだと思う。
ではそのエネルギーって何、と言われるとこれがまた難しい。
多分、気というか、その人が持つ空気というか、つまりその、あの、それってオーラ?(笑

以前、ホテルのロビーでソファに座って本を読んでたら、ふと引き寄せられるような気がして顔を上げた。
すると六星占術で有名なH氏が目の前を通過していった。
すっごいエネルギーだった。
なんか湯気が出てるみたい。
きっと強さとか、自信とか、勢いみたいなものが外に溢れちゃうんだろな。
その気を常にまとっている人とオンオフ自在の人もいるみたいだ。
でも下を見てた人間を見上げさせるなんて、ちょっとすごい。

このあいだの女優もまたすごかったなぁ、と先ほどデータを加工しながら感心した。
かなり年配ではあるけれど、きっと若い頃は恐いほど美しかったのだろう。
鮮やかな青の洋服に、帽子のように立ち上がった髪、そして憂いを感じさせるまなざし。
別に役はないのに、何だかそこにいるだけで役が与えられているみたいに見える。
きっと彼女は日常から女優なのだ。
そそうがあってはいけない、と人に思わせ緊張させる空気を持っている。

スポーツ選手でもなく、かといって僕たちのような技術職でもない、
トレーニングはするだろうけど、誰もができる言葉や表情、立ち振る舞いを演技することが職業というのは、よくよく考えるとすごい。
料理を作らないとか、ロビーでは撮影しないとか、歩きたくないとか、暑いから嫌とか、
もう何だか分からないけど、どんなことも許せちゃうような説得力が女優という言葉にはある。
まあどこかでそれくらいつっぱっていて欲しいという願いもあるかもしれない。
だからこそこちらも、やり遂げたという達成感があるのだから。
でも昔、自分の車に女優を乗せた時はもうグッタリだったなぁ。
あれはもう二度と嫌だ。
気を使うにも限界がある(笑

 

 

060 「食あたりとポリンキー」 11月23日

 

あーえらい目にあった。
どうやら取材で食べた生ガキに当たったらしい。
体がだるいなぁと思っていたのだけど、翌日の夜からゾクゾクと寒気がして、
ヤバい、こりゃ風邪だ、と早く寝たにもかかわらず、何だか胃に岩でも入っているような重たさ。
朝も起きれなくて、でも幸運なことに撮影は昼からだったので、ギリギリまで寝る。
でも体調はますます悪くなっていくばかり。
足を引きずるようにしてスタジオに向かうが荷物を運ぶ気力もなし。
撮影以外のほとんどをアシスタントにしてもらい、何とか予定終了。
でも頭が痛くて、熱もヒートアップ。
39度くらいはありそうだ。
もともと平熱が低いだけに意識がもうろうとしている。
おでこに湿布を貼って、14時間睡眠。
こんなに寝たのは大人になってから、初めてかも知れない。
まだぼーっとしているものの、昨日に比べたら嘘のように快適。
頭が痛くないことがこんなに幸せだなんて。
健康のありがたさを実感させられる経験でありました。

昨日はほとんど何も食べていなかったので、
今日はそれを取りかえすが如く、かたっぱしから、むしゃむしゃ食べている。
もうなぜだか止まらない。
ポリンキーは2袋目だ。
別の病気になりそうだな。

 

 


059 「記憶の中の光景」 11月19日

 

机の足下にストーブを入れて日記を書いてる。
ぼーっとしてる間にめっきり寒くなってしまった。
前にある公園の木々の葉は色付いて、どんどん落葉を始めている。
毎朝、おばあさんがせっせと竹ぼうきで掃いた後から、はらりはらりと葉が舞い落ちる。
いくら掃いても、翌朝にはどっさりと葉が詰まってる。
それでもおばあさんは文句も言わずに掃き続けるのだ。
色付いて、落葉することを毎年、不思議に思う。
動物に実を食べてもらって、遠くに種を運んでもらうために果物は甘い。
いわばおいしい実を作るから、僕の子孫を遠くで芽生えさせてね、と言うことなのだろう。
自然とはうまくできている。
でもなぜ紅葉するのだろう。
生物は進化してきたわけだから、たぶん理由があるはずなのだけど、僕は知らない。
何しろ紅葉なんかに興味がなかったのだから。
そんなものは年寄りの関心事程度にしか思っていなかった。

その考えを改めたのはいつのことだっただろう。

たぶん、7,8年前。
秋に京都の寺の撮影を依頼された。
人の多さを覚悟して出かけたものの、以外と人の姿はまばらだった。
嵐山のような全国区の有名どころは別として、紅葉場所がたくさんあるだけに人が分散するのかも。

寺は思った以上に静かだった。
誰もが大声で話すのを遠慮するかのように、小声で会話しているような印象を受けた。
境内に点在する紅葉する木々の風景を見て、初めてそれがきれいだと思ったし、
その中のひとつの小さな木に僕は釘付けになった。
それは凄まじい赤さだった。
その木は暗い森を背景に、息づくような深い赤を身にまとっているように見えた。
眺めているだけでため息が出た。
もし会話ができるのなら、どうして君はそんなに赤いんだい?と初対面にかかわらず素朴な質問をしたことだろう。
それはあっけにとられるくらい、すごい景観だったのだ。

僕たちカメラマンがすべきことは、目の前にある光景を自分なりのフィルターを通して、表出する。
その感じ方の違いがカメラマンの個性だと思う。
機材を選び、光を読んで、僕たちはその光景を心象風景として、フィルムに焼きつける。
それを撮ると決めた以上は実物の美しさを遥かに越えたい、という美意識が常に僕の中にはある。
でも時折、何をどうやっても目で見ているより、きれいには撮れない、と思う被写体と出会う。
僕はそんな時、カメラを仕舞って、ただ見ることにしている。
そんな記憶の光景はいくつかある。




 

058 「大切なもの」 11月15日

昨日、京都に向かう途中の高速でバナゴンを見た。
バナゴンは昔、僕が7,8年乗っていたワーゲンのワンボックスだ。
気に入っていたのだけど、走行距離が多く、故障も増えてきて泣く泣く手放した。
その車は追い越し車線を走って来て、僕の横を通過していった。
ナンバーは8846。
リヤガラスに「keep da ocean clean」というサーフィンのステッカー。
僕が乗ってたバナゴンだ。
懐かしいなぁ。
しばらく追いかけてみたけど、交通量が多くて、見失ってしまった。
まだ元気に走ってるんだと思ったら、感動した。

車には思い出が詰まってる。
どれだけたくさんの人を乗せただろう。
きっと何百人という単位。
そしていろんなところを旅をしたのだ。

別れる前に京都御所で写真を撮った。
変だけど僕が一緒に写った写真もある。
たくさん車を乗り継いだけど、これほど思い入れが強かったのは初めてかもしれない。
僕をたくさんの場所に連れていってくれたことを本当に感謝しました。

性格的に機械に思い入れを持つことはないと思ってた。
でも昔、カメラを盗まれたときの脱力感はよく覚えている。
不思議だったのはライカを失ったことよりも、キャノンを盗まれたことの方がショックだったということ。
ライカは趣味のカメラだけど、キャノンは共に戦う仲間だ。
どんな大変な現場も一緒に乗り越えて来た。
すごく大切な仲間だったのだ。
僕はキャノンが盗まれて、初めてそのことに気付いた。
愛着というのは何も高価であるとか、作りがいいとか、そういう話のものではなかった。
どれだけ濃密な時間を共有し、記憶として残っているのか、ということが大切なことなのだ。
ガラクタに見えても、それは誰かにとって宝物かもしれない。
年齢を重ねていく毎に、大切なものは少しずつ増えていくのだろう。

 

 

 

057 「カッパ横町の試練」 11月13日

長い間、書いていませんでした。
仕事が落ち着いたわけではないのだけど、最近書いてないね、と言われるし、
気にはしていたのですが、お許しを。

今日はまた夢の話。

色見本を作りにM君のスタジオに行かなきゃと夕べ、思っていたせいか、夢にM君登場。
何だか知らないけど、湯豆腐を分けてくれる。
そして僕は思い出す。
そうだ、今夜、プリントに行ってもいいかな。
その僕にM君は、さあねとつれない返事。
えーっ、どうしようと思いながら、僕は写真展に行かなきゃいけないことを急に思い出す。
展示はカッパ横町にある飲食街でゲリラ的に行われていて、
僕たちは誰がどの店でやっているかという情報を一切与えられていない。
とにかく自分達で探すしかないのだ。
そんなわけでカッパ横町は人だらけだ。
オバチャン、老人が入り乱れ、血相を変えて写真展を探している。
僕のライバルは塩沢トキ。
いじわるな罠を仕掛け、僕の行く手をさえぎる。

途中、争いに破れ、道ばたに座り込んだN君と遭う。
いつもカーゴパンツなのに、今日は珍しくおじさんのようなスラックスをはいている。
どうしたの、そんなカッコで、と僕は声を掛ける。
そんな服装じゃ写真展に行けないわよって、塩沢トキに言われたんです。
それでスラックスにはきかえたんですが、力が出なくって。すみません、先に行って下さい。
そう言ってうなだれるN君を見て、僕は拳を強く握った。
俺は負けない。
そう思いながら足下を見ると僕もカーゴパンツをはいていた。
おまけに上はタンクトップだ。それもメッシュ。
しっ、しまったぁ、これは罠だっ。
でもこんなところで立ち止まるわけにはいかないのだ。
僕は岩肌にしがみつき、上にあるレストランへ向かう。
まるでリポビタンDの世界だ。
ツタの絡まる通路を抜け、川を渡り、僕はO氏の写真展会場を探す。
カッパ横町の試練が次々、僕に襲いかかる。

でも見つけられない。
さすがに僕も疲れて、通路にしゃがみ込む。
もうダメかもしれない。
高笑いする塩沢トキの顔が目に浮かぶ。
すると世界が明るくなった。
僕は光に包まれて、気が付くと朝だった。

この夢ってなに。ねえねえ(涙

 

 

056 「アルハンブラの思い出」 11月8日

今日、クラッシックのガイド書を読んでて、ふと目が止まるページがあった。
スペインのギター奏者、タルレガの「アルハンブラの思い出」。
基本的に悲しげなメロディではあるが、曲の後半にリズムが変わって、前向きな気持ちにさせる。
アルハンブラという名の宮殿があるということ以外、曲が作られた背景はまったく知らないけど、
昔から好きな曲だったし、いつかはそこに行ってみたいとずっと思っていた。

話は変わるけど、僕は小学生の頃、切手を集めていたのだ(笑
まあそれほど本格的ではなかったけど、何百枚かの切手を持っていたはずだ。
僕が集めていたのは外国のもの。
日本の切手でちょっとしたものは高価で、とても子供が買えるようなものではなかった。
それにひきかえ外国の切手はデザインも珍しく、色もきれいでなぜか安かったのだ。
それゆえ僕は外国の切手をせっせと集めていた。
外国航路の船長をしていたおじさんからのエアメイルを水に浸して、
切手を剥がし、またせっせとピンセットで仕舞込む。
そんな調子でたくさん切手を収集した。

今、思えば、僕は切手集めを楽しんでいたのではなかった。
その切手が生まれた土地、そしてそれが海を渡り、僕の手元にやってくるまでのその過程。
それを想像することが僕にとって素敵な時間だったのだ。
たくさんある切手の中でも特に気に入っていたものがあった。
もうディティールは忘れてしまったけど、青っぽい切手、そして白抜きで地形が印刷されていたと思う。
最も覚えているのはそこに「グラナダ」と書かれていたことだ。
当時はまだ外国語が分からないから、きっと誰かに教えてもらったのかもしれない。
グラナダ、グラナダ。
僕はいったい何回、その言葉を反すうしただろう。
ただ子供だからいつか行きたいなどとは思わなくて、ただそこはどんな土地だろうと思いを馳せた。

ただ幸運なことにこんなフラフラとした大人になれたものだから(笑、
作品とこじつけて海外に行くこともできるようになった。
まあすぐとは言わなくても、グラナダはいつか行ってみたい土地だった。

今日、そのクラッシックの解説を読んでいて、目が釘付けになった。
「スペインのグラナダにあるアルハンブラ宮殿は ....  」
そんなことってあるんだ、と思った。
これで行く口実ができた(笑

 

 

055 「夢の理由とは何?」 11月7日

 

一昨日の夜、夢にキムタクが出て来た。
高層ビル のエレべーターで偶然一緒になって、僕たちはそれぞれの用があって上に向かう。
扉が開くとそこには港があった。
小さな観光船があって、僕たちがそれに乗り込むと無人のまま漂流をし始めた(笑
お互いが急いでいたにもかかわらず、漂流しているという事実をしょうがないな、と受け入れる。
そして僕たちは腰を据えていろんな話をしたのだ。
翌日、漂着したのはなぜだか知らないけど、僕の実家のある街。
別に港町でもないのだけど(笑
でも人はいない。
僕たちは相変わらずいろんな話をしながら、当てもなく街をさまよう。
無人の公園でブランコに腰掛けたり、山崎パンの前にあるコカコーラの椅子に座ったりしながら、
価値観や生き方などをそれぞれが穏やかに語る。
世界と僕たちが隔絶されているにも関わらず、悲壮感もなければ、焦りもない。
ただ淡々と話を続けているのだ。

やがてそれぞれが向かうべき場所を僕たちは感じ取る。
いつでもいいから写真を撮って欲しいと彼は言う。
いいよと僕は答える。
僕たちはかたく握手を交わし、手を振って別れた。
そんな夢だ。


昨日は月夜の夢だった。
寒い夜、真っ白な月が金属音をたてるみたいに輝いていた。
僕は武家屋敷に挟まれた道の真ん中に立っている。
足下には僕の月影がきりりと描かれていた。
腰には刀が二つ。

実は明治維新以前の夢を良く見る。
正確な時代はまったく分からないし、光景も断片的だ。
でもたいていの場合、僕は丘の上から町を見下ろしている。
たくさんの瓦屋根が見えて、その向こうに穏やかな海が広がっている。
太陽の方向からすると太平洋や、瀬戸内海のように南に開けた町みたいだ。
当然のことながら、見たことがない光景なのだけど、僕はいつもその景色を懐かしく感じる。

夢は何かを暗示しているのだろう、と思う。
「普段の考え事がかたちになった夢」と「掴みどころのない不思議な夢」
後者は僕に何かを伝えようとしているのか。
だとするなら、そのメッセージとはいったい何なのだろう。
朝目覚めて、意識がまだ夢と現実のあいだでまどろんでいる時、
僕はその理由を強く考える。
夢の理由をこちらの現実にたぐり寄せるためには、 その2つの境界線に身を置くしかないのかもしれない。
でも心のどこかでわからないまま、そっとしておきたいという思いもある。

何か、変な話だなぁ(笑



 

054  「いろいろ一段落です」 11月3日

 

自然写真展の撮影も無事に終わり、
再々撮影で何とか、これならいっかと思うものが出来上がる。
このために使った時間と経費はいったいどれほどのものか(笑
まあでも、とりあえずひと安心。
今回はシノゴだったのでネガとポジを使用。
ポジの抜け感も悪くなかったけど、ネガの情報量はやっぱすごい。
普通のプリントや印刷では出ないかもしれないけど、フォトショップで作ったら、すごい階調だろうなぁ。

ここ一年はとりあえず何でもかんでも、デジタルで撮影してきて、
データでは何ができて、何が苦手なのか、おおむね把握できた気がする。
徹底的に使ったおかげでどの撮影なら、どの機材が適しているのかという、棲み分けが明確になって来た。
もちろんデジタルも進化するし、それを取り巻く環境、例えば印刷も良くなるわけだから、
デジタルカメラが活躍できる率は増えていくのだろうけど、
ただ現時点ではこれがベストだろうという基準が僕の中にできたのだ。

ちょっと前は9割以上がデジカメという使用頻度だったけど、今は約半分がポジ。
特に料理撮影は圧倒的にポジが多く、
それ以外は写真のトーンや大きさ、デザインなど、によって使い分ける。
イメージを聞いて、それならこのカメラでこう写すべきです、という提案をする。

昔はデジタルと聞いただけで憂鬱になったものだけど、
今は、はいはい、デジタルね、はいはい、これはポジね、なんていう感じ。
ものすごく日常化していて、
やっぱ泣きながら勉強した甲斐があったな。

 

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