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072 「今年もありがとうございました」 12月30日

 

明日で今年も終わりです。
なんだか後半は時間が加速した感じです。
とりあえず今日で仕事の片づけは終わりと思っていたのだけど、まだ書かなくてはいけない請求書がいくつかあった。
来年でも良さそうだけど、また忘れてしまいそうなので明日書くこととする。
あと30時間ほどで新年。
いつだって新しい年に向けての誓いは固い。
演歌歌手のようにぐっとコブシを握りしめる。

思い返せば昔は形式ごとのように初詣を捉えていたに過ぎない。
友人と参拝することは一種のお祭りごとでしかなかったのだ。
でもここ数年はその気持ちにゆっくりとした変化があった。
そして毎年、その想いは次第に強くなっていく。

納得のいく仕事など、そうそうあるものではない。
いつだってベストを尽くす、と思っていても、なかなかそれが反映されるものでもない。
もっとこうしときゃ良かった、なんてしょっちゅうだ。
あー、なんでいつもこんなに要領が悪いんだとため息だし、
何回、同じような失敗をするんだ、と自分の頭をポカスカ叩く。
そうしてまた新年の決意。

今年、いつかの取材で、カリスマと呼ばれる80才くらいの達人が僕に言った。
業界ではその人よりも上の人を探すのが難しい。
そんな人だ。
「 まだまだわからないことがたくさんあるよ。勉強しなきゃ。ほんと、心からそう思う」
もう勉強する時間なんて、ないですよ(笑)と内心感じながらも
その立場の人ですらそんなことを考えているのだ、ということは新鮮な驚きだった。
だったら僕たちが頑張らないわけにはいかない。

結局のところ、向上心や探究心が枯れない限り、 モノ作りをする人はずっとそんな調子なのだろう。
僕の要領が悪かったり、失敗するなんて当たり前のことだ。
カリスマも毎年、頭をポカスカ叩いてるかもしれない。

では良いお正月を。


 

 

071 「思考と表現」 12月27日

 

今日、プリンターのM本くんと、どうすれば写真が変わるのか、という話をした。
そう言えばこのあいだのパーティーの時も若い子とそんな話をし続けた。
どうすれば写真は変わるのか。

手っ取り早いのは新しいカメラを買う。
コンパクトカメラから一眼レフに。
もしくは一眼レフからローライフレックスに。
そしてちょっとした技術を覚えてみる。
それはフィルターワークであったり、もしくはライティングであったりだ。
これでそこそこ写真は変わるかもしれない。
ただ同じプロセスを通過して来た僕からすれば、その変化は劇的なものではなかった。
少なくとも僕が望んでいたほどの変化を写真の中に見つけることはできなかったのだ。

そもそも写真が変わると言うのはどういうことだろう、と考えた。
正確に言うなら考え続けた。数年間。
そして僕なりに辿り着いた答えは「考え方を変える」ということだった。
「関心事を変える」と言った方が正しいかも知れない。

思い返せば僕はいろんなものを否定し続けて来た。
モノを否定し、人を否定し、他人の生き方を否定してきた。
自分の感覚にそぐわないことを価値のないものというジャッジを下して、生きてきたのだ。
でもギャラリーでの人との出会いで、否定してきた事柄の中からも素晴らしいものは生まれていた、という事実にショックを受けた。
いろんなものを否定してきた間に僕は数多くのキラメキを見過ごしてきたのだろう。
そうして僕は一切のことを否定しないと決めた。

ギャラリーを立ち上げて半年経った冬、僕は長かった髪をバリカンで刈り上げて、高校球児のような坊主頭にした。
それを見たO島さんは「どうしたんですか、何か悪いことしたんですか、反省ですか」と言った。
確かにある意味、反省だろう。
そして自分のヌードを撮影し、髪を金髪に染めて、ボロ布のような服を身にまとった。
スタジオ周辺はホームレスが多いだけに、「若くて大きな浮浪者がいる」と噂されてもおかしくないような、そんな服装だった。
そして何を見ても「いいねぇ、いいねぇ」と言い続けた。
そんなこんなしてる間に自分とベクトルの違う表現であっても、素直に良いと思えるようなったのが、不思議だ。

で、その結果、僕の作風はどうなったのか。
自分のことを主観抜きで語るのはなかなか難しいけど、変われたと思う。
というか、これは比較論だけど、自分が望む変化をしたのではないだろうか。
以前の写真は想いが入り過ぎていて、神経質な感じもしたし、それを受け入れる側にも同質のエネルギーを求めていた。
でも今はその呪縛から解き放たれて、とても自由になれた気がするのだ。

パーフェクトな人間などいない、と誰かが言った(誰?)
その人のある思考に基づいてアウトプットされた作品なら、僕は否定しない。
納得できないことがあったとしても、表現に正誤や真偽はないと思いたいからだ。
そしてその表現を受け入れると言うことは、同時にその人を受け入れるということと同じくらい、表現と思考はリンクしているのだろう。

写真家の作品を見ても、時代時代で表現の変化を見て取れることが多い。
いろんな分野においても初めから死ぬまで作風が同じ、という人を僕は知らない。
迷って悩んで考え抜いて、何らかのきっかけで変化が訪れる。
その人と作品は螺旋のように常にシンクロしている。
小手先の変化で人に想いを伝えることはできないと思う。
僕はいつだって、その人が何を考えて、何を伝えようとしているのか、ということを知りたい。

 

 

070 「サンキュー、ビーツギャラリー」 12月23日

 

夜、仕事を片付けてビーツギャラリーに向かう。
今年最後の企画展であり、写真展だ。
ギャラリーはすごい人で友人を見つけては「よう」と手を挙げてみたり、
脇腹をこそばしたり、しっかりと握手をしたり。
今回の写真対決企画の主役の一人である夢児が、僕を見つけると「長い間、お疲れさまでした」と声をかけてくれた。
そうなんだなぁ、とちょっぴりかみしめる。

僕の記憶が正しければ4人で写真展をしよう、という話が持ち上がったのが2000年の12月。
出版社の忘年会が居心地悪く、そこを抜け出した4人がばったりとエレベーターの前で会ったのが始まりだった。
2001年の春に岡島さんがギャラリーを借りて、僕たちは壁をくり抜いたり、合板を買って来て打ち付けたり、
ペンキを塗ったり、そんなことを毎日やっていた。
室内の長椅子に腰掛けては、ただ白いだけの壁を見上げて、ここに写真が貼られたらどんな感じなのだろうと想いを巡らせた。
実際、写真展を始めたのは9月だから、半年もそんなことをしていたのだ。

初めは奥のサロンも手前の小部屋もなくて、ギャラリースペースと廊下しかなかった。
それなのにギャラリー内には本棚があるし、ステレオだってあるし、あまりに狭くてしょうがないので、
六階のオールスタジオでよく遊ばしてもらったっけ。
そんな規模のビーツギャラリーがこれだけ人の集まる場所になるなんて想像できなかった。
すごい求心力だと思う。
来るものは拒まず、去るものは追わない。
たくさんの人と出会い、たくさんの人がギャラリーからいなくなった。
冷たい言い方かもしれないが、基本的には「常にひとり」である僕たちにとって、それは理想的な環境だと思う。
ギャラリーが必要であると感じている人だけがたずさわればいいのだ。
それでも夕べ、あれだけの人が集まった。
時間を裂き、何かを期待して訪れてくれている人たちがたくさんいる。

だけどその人々を受け入れる側の僕もギャラリーをもっとも必要としていたひとりだ。
これまで生きてきた中でこの4年間ほど濃密な時間はなかった。
生き方を変えるほどの出会い、というのはこういうことを言うのだろうなと思う。

来年からは若い世代がギャラリーを引き継いでいく。
その時間が人生の中でどれほどのボリュームを占めるかはわからないけど、
後から振り返って、そこに関われたことがいい環境であったと思えるよう願っています。
なかなか夢を見れない世の中だけど、みんなには好きなことを貫いて欲しいと心から思います。
みんなにあえて良かった。
岡島さん、ありがとうございました。
サンキュー、ビーツギャラリー。


 

 

069 「ゴジラと時間」 12月19日

 

追われている。
いろんな催促が僕を襲う。
何だかまた夢にゴジラでも出てきそうな感じだ。

日曜にもかかわらず、朝から3メガ分のデータを加工し続けた。
目は充血し、マウスを持つ右手は痺れたままだ。
おまけに溜まりに溜まった2か月分の請求書がその期限の終わりを迎えつつある。
督促は電話やファックス、メールなどさまざまな手法に変化しながら、僕にプレッシャーを与え続ける。
だがさすがにこれ以上知らんぷりを決め込むわけにはいかない。
なぜならギャラが支払われなくなるからだ。
このままでは暖かい正月が越せなくなる。
そんなわけで請求書もちょっぴり、目に涙を浮かべながら書く。
さっきやっと終わった。
15 時間かかったのだ。
相変わらずデジカメは放り出されている。
ちょっと写してはみたものの、パソコンに取り込んだりはしていないので
どんな風に写るかは謎のままだ。

そんな感じで今年も残すところあと僅か(ちょっと強引な展開だけれど)
9月くらいに「正月なんてあっという間だよぅ」って言ってたのに、ほんとにもうあと10日になってしまった。
大晦日から新年にかけては必ず群衆の中でカウントダウンするようにしている。
別にお祭り好きな訳ではないのだけど、新しい年を迎えるに当たり、時代が確実に進んでいる雰囲気をその中に感じ取りたいのだ。
年が変わる瞬間の人々のエネルギーは凄まじく、高揚せずにはいられない。
うまくいっている人にも、そうでない人にも 平等に新年は訪れる。
去年はさておき、今年こそは頑張りたいといつも強く思う。
裸電球に照らされる皆の顔はとても明るい。

今、こうしている間にも時間は進んでいる。
今日の日記の書き出しなんて、とっくに過去だ。
本当は日記なんて書いてる場合ではないのかもしれない(笑
まあ、でも生きてることなんてほとんどが無駄な行為の連続のようにも思える。
すべての時間が満たされた一生なんてあり得ないのだろう。
そんなの疲れそうだし。

ただ時間は永遠にあるわけではないから、後悔するような使い方はしたくない。
仕事をしている瞬間と、人と共有している時間は等しく貴重であって、
少なくともその2つの時だけは、今の僕にとって最も大切な時間だと思っている。

 

 

 

068 「RAWとJpeg」 12月16日

 

やっと新しく買ったコンパクトデジカメを使える環境が整った。
詳しく説明書を読んではいないけど、専用CDをインストールし、画像が取り込めるようになった。
RAW現像ソフトもどんどん進化して、使いやすくなる反面、以前のソフトでは当たり前にできたことが、
新しいものでは対応していなかったり、使い分けをしなくてはいけないのがちょっぴりやっかい。
ただキャノンのDigital Photo ProfessionalではJpegデータにもシャープネスをかけれるようになったのが嬉しいと思っていたが、
拡大画像をみると画像の劣化がかなり見て取れたので、フォトショップ上でシャープネスをかけるのと同じなのかもしれない。
でもこのカメラに付いてる現像ソフトは使いにくいなぁ。
いちいち動くのに時間がかかって、まるでOS9みたいだ。

他のメーカーはわからないけど、少なくともキャノンで言えばRAWデータで撮影しないと納得のいくトーンであがって来ない。
現像段階でコントラストやシャープネスなどを調整すれば、
フォトショップ上でほとんど加工の必要がないデータが出来上がる。
色見本のLサイズプリントを見てもJPEG(RAWと同じデータ量のもの)でのトーンの違いは明らかだ。
JPEGは画像圧縮し、加工する段階でどんどん画像が劣化していく。
もちろんRAW現像でも劣化はするが、その度合いは少ないし、
ここまでの調整なら劣化はしない、というボーダーラインのようなものはある。
そんな理由で僕はどんな小さな写真もRAWでしか撮らないけど、当然のことながら撮影時の書き込みの時間が長い。
連写後は画像チェックまでの間、クライアントに「タバコでも吸っててもらえますか級」の時間がかかる。
メディアもたくさんいるし、パソコンでの現像時間の拘束もたまらない。
多くの困難や障害があるのだけれど、それでもやはりRAWはきれいだ。
どれだけ劣化が押さえられるか、がデータ加工のポイントになっていると僕は思う。
プリントまでならまだごまかしが利くけど、印刷になるとノイズがあることは致命的みたいだ。
ただノイズが気になりにくい被写体もいくつかあるのだけれど。

僕たちカメラマンがきれいと言うのはよくある話だけど、
色見本の小さな写真を見たクライアントが、なんだかすっごくきれい、というのはこれまでのJPEGとは違う印象を
そのプリントの中に感じたからだと僕は思っている。
大変だったけど丁寧にやってて良かった、と思う瞬間です。

 


067 「WHY ゴジラ?」 12月11日

夢にゴジラが出て来た。
正確に言うとゴジラを見たわけではない。
ゴジラの形跡を見たのだ。

朝、スタジオに行くとビルがゴジラに踏みつぶされていた。
僕は慌ててホコリまみれの階段を駆け上がる。
僕のスタジオのフロアーはかろうじて残っていた。
ただ屋根はないのだ。
青空が見えている。
僕は瓦礫の中にパワーマックを探す。
あの中には納品を急かされている未加工の2メガ分のデータが入っているのだ。
だめだ、見つからない。
言い訳を考える。
ゴジラに踏みつぶされたでは説得力がない(夢の中では)。
ゴジラに奪われたではどうだろう。
あのマックの中にはゴジラの秘密が隠されていた。
これはかなり説得力がある。
そんなことを考えていたら、前の公園の木の枝に僕のマックがぶら下がっていた。
あー、あんなところに。
でもとても届きそうにない。
災害でみんなが走り回っている時に、マックのために梯子車を出動依頼するのも気が引ける。
あー、どうしよう、と思っていたら、アルバイトがあったことを思い出す。
そうだ、僕はそば屋でバイトをしていたのだ。
すぐさまオートバイにまたがり「そばの信濃路」に向かう。
僕のオートバイは1200ccのVーMAXだ。
「そばの信濃路」に向かっていたはずなのに、気が付くと集団で信州を走っている。
まわりはみんな宇崎竜童(こんな字?)みたいなイージーでチョッパーなライダーばかりだ。
爆音と奇声をあげて峠をローリングする。
俺たちゃ不良なんだ。
すごく悪ぶっているのだけど、頭から2メガのデータのことが離れない。
怒られたらどうしよう、と思っている。

さてこの夢は何を暗示しているのでしょーか(涙

 

 

 

066 「理想と調和とデジカメ」 12月9日

 

気が付けば12月も2週目だ。
はやすぎる。
あー企画展の写真を撮らなきゃ。
それに年賀状の季節だし。
末締めの請求書、書いてない。
デジカメも箱から出しただけだ。
普段なら2、3回使って放り出すのだけど
今回は初めから放り出されている。
これはかなり危険な状態と言えるだろう。
何といっても、もう塵が積もり始めている。
日記など書いている場合ではないのだ。

ホームページの写真もアップロードの準備をしたまま、手が付けられていない。
ローカルファイルはできているのだけど
どうも写真の調和が取れていない気がしてストップしている。
たくさん出せばいいというものではなくて、全体の構成を考えると省かなくてはいけないものが、いくつかありそうだ。
それぞれが思い入れの強いものだけに、ここから外すのはちょっとした勇気が必要になる。
もちろんそれはホームページだけではなく、写真展もそうだろうし、
日常で調和が求められるケースはたくさんある。
僕は調和というバランス感覚に実はとても重きを置いている。
その均衡を狂わせないことで自分らしくいられると思うのだ。
過剰な背伸びをしたり、自分を演出してみせたりするのではなく、
いつも等身大の自分でいられるよう心掛けている。
まあでも、 かなりのノンビリ屋ではではあるのだけど。

僕らカメラマンは常に余裕のある状態で仕事をしているわけではなく、
というか、たいていの場合、切羽詰まったギリギリの精神状態に追い込まれていることがほとんどなのだ。
これ以上絞っても何も出て来ないチューブ歯磨き粉のように、僕たちは感覚を磨り減らして消耗している。
そんな余裕のない状況下だからこそ、僕は写真を撮ること以外に意識を裂きたくない。
どう見られたいか、ということよりもどれだけ集中してもの作りができたのか、ということの方が断然、大切なのだ。
そんな気持ちがますます強くなってゆくのには、少なくとも写真においては無駄な時間は使いたくないという思いがある。
その仕事に関わった以上は、恥ずかしがらずに胸を張って、サイコーのものが撮れましたと言いたいし、
この写真はどうかなぁ、というものを納品するほど失礼なことはないと本当は思ってる。
でも実際のところ、ベストなものなんてそうそう撮れるわけではない。
ただそれでも「そうありたい」という気持ちはいつも持っている。

 

 

 

065 「brand new camera」 12月6日


デジカメ買った。
もちろん新品だ。
かなり嬉しい。
ムービーも付いてるらしい。
でもまだ箱から出しただけ。
触っている時間がないのだ。
いろんなものに追われている。
催促の電話が鳴りっぱなしだ。
「打ち合わせをしたいんですけど」
「ロケハンはいつ行けますか」
「お振込を忘れられているようですが」
「もうそろそろ納品してもらえませんかね」
「車、洗ったらどうですか」
「上握りを2つ、六時までにね」(週に2回は出前の電話がかかる。前は寿司屋の電話番号だったらしい。ちなみに姫寿司)
そんな感じだ。
催促が僕とデジカメとの親密な時間を奪い去ってゆくのだ。
いつになったら、デジカメの説明書を読めるのだろう。
日記を書かずにデジカメで遊ぶという手もある。
でも「最近あまり日記書いてないですね」と今日、ちくちく言われた。
日記を書かないわけにはいかない。
デジカメで遊んでいると思われてしまうからだ。

まあ何はともあれ、新しいカメラは嬉しい。
意味もなく街に出たくなったりする。
かなりいい写真が撮れるかもしれない。
何だか分からないけど、やる気に満ちあふれている。
でもまずは説明書を読むところからだな。

 


064 「東京なまりで帰阪です」 12月4日


さっき東京から帰って来ました。
大阪は雨が降っているせいか、ちょっぴり暑く感じました。
そしてまだ僕は標準語なまりの変な大阪弁を喋っています(笑

今回は友人にたくさん会えて楽しかった。
初日の午後、ナイキでマーケティングのマネージャーをしている森部氏に会う。
彼は昔からの友人で気が付いたら3年くらい会っていなかった。
その前はニューヨークで5年ほどいたはずだから、ここ7、8年で2、3度しか会っていないはず。
そのブランクを埋めるかの如く、天王洲アイルのカフェで大阪弁で喋りまくる(笑
ナイキがホノルルマラソンのスポンサーをしているらしく、その担当なのでかなり忙しいみたいだ。
来週からは渡米だったので、今回、運良く会えて良かった。
かたく握手をして別れた。

7時には仕事が終わるのでメシに行こうと約束していたノジョー氏が来ない。
彼は湘南に住むフォトグラファーだ。
http://waterfront1881.air-nifty.com/nojyo1881/
少し前まで品川で暮らしていたけれど、今は湘南ローカルで自転車にボードを乗せて海に通っている。
ちょっと羨ましい。
でも9時になっても来ない。
もうハラ減ったよー、って言ってたらホテル前に到着との電話。
何でもいいから、早く食べに行こ、と近くのファミレスへ。
まだ食あたりで調子が悪いので、お粥を食べる。
ファミレスにもそんなメニューがあるのだ。
彼ももともと関西人なのでここでも大阪弁で喋りまくる(笑
互いにカメラマンなので話の内容はどんどん深みに入っていく。
まったく話が尽きないのだ。
気が付いたら日付けが変わりそうだった。
ホテルのある祐天寺まで送ってもらう。
彼は来週、高知で撮影らしく、その時大阪で会えればと、ここでもかたく握手。
そして走り去った。

翌日、森部さんの奥さんである、しのぶさんと会う。
おそらく5年くらいは会っていなかったのではないかと思う。
でも相変わらず若々しくてきれいだった。
彼女は洋服のデザイナーをしていて、お店も僕の自宅から近かったということもあり、よく遊びに行ったものだった。
その会社が東京にも出店することになり、
そのプロデューサーとして彼女は青山にいるのだ。
森部夫妻は麻布に住んでいる。
それも洋館らしい。
そんな人、聞いたことないなぁ(笑
お店でもゆっくりさせてもらいました。
ありがとうございました。

3日目、クレアの濱口氏に会うために文藝春秋へ。
電話ではたまに話をしたものの、会うのは本当に久しぶりだ。
彼はかつて平凡社、太陽の編集者でホームページにもアップしてるけど、京都を一緒にまわった。
残念ながら太陽は休刊になってしまったが、その間際に出したキャパの特集はほとんど彼が一冊作ったと言うからすごい。
僕の知っているかぎり、編集者としてはもっとも写真家に詳しく、
ビジュアルに対してもきちんとした考えを持っているので、話をしていて勉強になる。
とても有能な編集者だと思う。
長い間、お茶に付き合ってもらった。
紀尾井町の交差点で握手し、手を振って別れた。

最終日、濱口氏に教えてもらった東京オペラシティへ、ティルマンスの写真展を見に行く。
乗り換えの渋谷と新宿はもうあり得ないくらいの人だったけど、ここは別世界だ。
とてもいいギャラリーだった。
こんな環境がたくさんある東京の懐はやっぱりすごい。
しっかりしてないと自分を見失いそうになるほどのエネルギーだけど、
でもいろんなものを見て、まだまだ頑張らないと、と思った。
というか、まだ自分は発展途上であって、上限はもっと見えないほど彼方にあるのだ、ということを再認識した旅だった。
ほんと写真を撮らなきゃ。
というわけで明日、デジカメを買いに行きます(笑
本当はもっとたくさん書きたいことがあるのだけど、かなり眠たい(笑
会ってくれたみんな、ありがとう。

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