173 「京都、神戸」 11月27日

日記、アップしなくて、すいませんでした。
昨日、神戸から帰ってきました。
現地を出発したのは夜の8時頃で、ほとんど停まらないで帰っても到着は朝3時頃。
名古屋で事故渋滞だったので、車中で寝ようと試みるもあまりに早過ぎて結局眠れず、
東に向かい、何とか富士川PAまで辿り着いて眠ることに。

起きたのは7時で抜けるような青さの空に、冠雪した富士が美しく鎮座していました。
みんながその光景を見て、感嘆の声を上げます。
たしかに美しく迫力があります。
連山の多い日本において、こんな独立峰がいちばん高かったというのはちょっとした奇跡ですし、
この山に宗教的な意味合いを見いだしていたことも、うなずけなくはありません。


まず京都に入ったのは先週の日曜日のことですから、ちょうど1週間前のことです。
外務省が発行しているある雑誌がありまして、それはたしか15国語ぐらいに翻訳され、
世界各国の日本大使館や領事館に置かれたりします。
以前も何度か携わったことがありましたが、今回は世界的にブームである日本料理と器を取り上げるということでした。

取材先が紅葉の名所近くにあり、人の多さはすごいです。
でも機材があるし、車で行かないわけにはいかないから、進むのですが、これまた大変です。
大晦日の参道を車で走るようなものですからね。
撮影が終わると逃げるように京都を去り、神戸へ。


神戸は新空港開港にあわせて、機内誌である「○の王国」の撮影で訪れました。
この雑誌はエディトリアルに興味を持ってから、ずっと関心があった本ですし、
今回、この撮影に関わることができて、とても嬉しく思っています。
どういった編集になるかはまだわかりませんが、
たぶん2月の、とある航空会社の国内線、国際線両方で見ることができると思います。


東京に来てたくさんの人と出会い、そこで縁のあった何人かの方が、
僕を少しでもいい場所にと、引っ張り上げてくれるような感触があります。
今回の神戸撮影は地元プロダクションC○PYZのN山さんからのご紹介でした。

この機内誌の編集長の方は写真の見方、技術に関しての造詣も深く、
いいものを頑張って作ろうという気持ちに、僕はとても共感できました。
本当にいい人と出会えたということと共に、これで東京でやっていけるという手応えのようなものを感じました。

いろんな人に助けられて、少しずつ地盤を固めつつあります。
頑張っていい写真を撮らなきゃ 、と思いました。






172 「命」 11月19日

先日、友人が他界しました。

このことついて触れるべきなのかどうか、ずっと考えておりました。
これはできることなら書きたくない内容の日記でしたし、そうありたいと思っていました。

でも僕には伝えたいことがある、という気持ちに至り、こうして書き進めることにしました。
同じ世代だから理解できる僕たちの置かれている立場や、
彼の死を通じて、僕があらためて感じた沸き立つような衝動について。



友人が通勤途中の電車で倒れ、危篤状態にあると聞いたのは10月の初めのことです。
僕は新幹線に飛び乗って帰阪し、病院を訪ねました。
彼は集中治療室のベッドに横たわっていて、その傍らには彼がいつも持ち歩いていた大きなバッグがありました。
撮影の時、現場の邪魔にならないよう、いつも僕の機材の近くに置かれていたバッグ。
ちょっと機材を移動する際、僕は何度もそのバッグを掴み、そのずっしりとした重さは今もなお、僕の感触として残っています。

その光景はなにかしら僕にとてもリアルなものを感じさせました。
ある種の事柄は予感があるものでもなければ、当然、待ち構えることもできないもので、
それはある日、突然訪れるということを事実として、受け入れざるを得ませんでした。
それゆえ彼の身に起こったことが信じられません。
目を閉じ、ゆっくりと呼吸する彼を目の前にしても、それがどういったことなのか、
なぜ彼がそういった状態にあるのか、理解はできても僕の意識は白昼夢のようにぼんやりとしたままでした。



彼はある出版社の編集者で知り合ったのは僕がフリーになった年ですから、おそらく10年くらい前のことでしょうか。
彼は僕よりもひとつ年下ですが同世代で同性ですから、置かれている立場は違っても自分達が向かうべき方向や、
関心事が大きく違うわけもなく、顔を突き合わせては仕事以外の話をよくしたものでした。

そんな話の中でもよく覚えているのが僕たちの人生の岐路においての話です。
彼は編集者として数年を経たあと、退社し、もう一度新たな勉強をするために復学することを決心しました。
当時、彼はもう結婚していましたし、その決断はとても勇気が必要だったと思います。

ところがちょうどその時、会社が新しいスタッフを迎えて新体制に変わる時と重なりました。
その環境は彼にとってとても魅力的に映ったらしく、退社して復学すると決めていたものの、
少し迷いがあります、と彼は高速を走る僕の車の助手席でゆっくりと話し出しました。
確かに新体制下では面白いものができるのでは、という予感がありましたし、
彼が迷っているという気持ちもよく理解できました。
でも僕は、その中で結局自分が何をできるか、それが大事だと思う、という僕なりの考えを彼に話しました。
時間はかかってもいいから、自分というものをある程度確立して、社会に戻ることは難しいことではないし、
今、大事なことは自分のやろうとすることを信じ、そして数年後、自信を持って帰ってくること、
そんな話を彼にしたと思います。

そして数年後、彼は会社へ帰ってきました。
以前持っていた女性のような優しさは影をひそめ、力強く自信を持って、でも優しさは変わりませんでした。
そんな彼の姿を見て、良かったと心から思いました。
生きることの困難さと、そしてそれから成長していく様をその姿の中に見た気がしました。

もちろん生き方に葛藤があったのは僕も同じことで、いろんな経験、考えを経て、上京を決意しました。
その気持ちを多くの人に伝え、たくさんの人が「いつでも帰ってきていいよ。また仕事しよう」と言ってくれました。
彼に「東京で通用しなかったら、戻ってきてもいい?」なんておどけながら言ったら、
「帰って来ないで下さい。帰ってきて欲しいけど、帰って来ないでください」と真顔で言われました。
その言葉を聞いて背筋が伸びました。
彼にだけ唯一、帰って来ないで欲しいと言われました。
それはつまりそれくらいの気持ちで頑張ってきて欲しいということの裏返しです。


今まで生きてきて、これほど誰かの死が堪えたことはなかったです。
これほどの絶望と空虚を感じたことはなかったし、今なお、彼がこの世にいないと言う事実が信じられません。
この瞬間にも電話が鳴って、彼の低く優しい声で「すいません。またちょっとややこしい話なんですけど・・」
なんて話し出しそうな気さえしますし、そうあることの方が自然に思えたりします。
でもどうして彼がそうならなければいけなかったのか。
平等さのかけらもない生命のルールに、譲りがたい怒りが未だ収まりません。

もちろんそれぞれの命に優劣などないことは公然たる事実です。
でも家族と、これから本当に充実していくだろう人生を残し、彼は昏睡状態で何を考えていたのだろう。
僕なら何を考えただろう。
同じ世代で彼の想いが察せられるだけに、その無念さは言葉にならない。


彼が亡くなったことを伝えられたのは、二回目のお見舞いにお伺いしようと決めていた前日の朝でした。
電話でその話を聞いた時、体の中を衝撃が走り、頭の中が真っ白になりました。

翌日の告別式には多くの参列者が別れを惜しみました。
葬儀にこれほど若い人たちが列席しているのは、とても不思議な光景です。
告別式という別れを告げることの痛みが、そのとき初めてわかった気がします。


彼と最後に話をしたのはいつのことだろうと考えていました。
確か東京に来て、ひとつきほどしたある夕方、青山で打ち合わせを終えてのときでした。
まだ街に慣れなくて必死だったろ、彼から写真の二次使用の電話を貰ったのでした。
最後に彼は「東京はどうですか。頑張れてますか」と穏やかに言って笑いました。
そのとき僕はなんて答えたのか覚えていませんが、諦めずにやりますよ、ということは伝えたような気がします。

人ときちんと向きあって付き合うこと、そして共有する時間の大切さをあらためて思いました。
いつだって全力で、決して手を抜いて向き合ってはならない。

そして命は何にも代えがたく尊く、
生きていることは無条件で素晴らしいと思う。
それゆえ残された僕たちが一生懸命に生きるのは当然のことであり、
それが亡くなられた方々の唯一の救いでもあると思う。

時にはくじけることもありますが、後悔しないよう頑張ります。

心よりご冥福をお祈りいたします。






171  「ナイスで逆ナイス」 11月15日

撮りためたデータ(喜んでためたわけではないですが・・)を加工し、各クライアントへ発送しました。
ところがたくさん数があったせいで、ひとつ忘れていたことに気がつく。
もう、これは焦りました(手のひらから汗が出たし・・)。
でも何とか、ごまかしながらも納品しました(汗

来週、京都の撮影が決まり、おそらくその後、別の撮影で神戸に入ります。
もし神戸の撮影が決定しそうであれば、5日ほどの関西滞在になるので、車で行こうと思っています。
あの往復路を考えるとうんざりしますが、でもデータを関西で加工して東京に発送したり、
撮影内容がバラエティに富んでいるせいもあり、機材がたくさんいることを考えたら、やっぱり車ですね。
なんとか新幹線で行けないか、といろいろ考えてみましたが、でもやっぱり今は楽することよりも
効率は悪くとも、ひとつひとつ時間をかけて、丁寧に仕事をすべきでは、という考えに至りました。
そんなわけでまた行くのです、片道550kmを(涙。

とりあえず行きに関して言えば、京都までのドライブなので、ささやかではありますが、ナイスです。
でも紅葉のピークにドンピシャなんですよねぇ。
おまけに撮影は清水寺の敷地内にあるような場所なんですよねぇ。
なんて逆ナイスなタイミングなのでしょう。
うまくいかないなぁ。

いっそ、紅葉でも撮るか・・。
とほほ・・。




170 「銀座」 11月10日

なぜだか月曜からの4日間、ずっと銀座で撮影でした。
それも毎日、まったく違うところからの発注です。
上京した当初は吉祥寺で、その後、六本木、今回は銀座です。
なんかその時のはやりのようなものがあるから不思議です。
でも僕の場合、銀座周辺はなにかと撮影が多いですね。
婦人紙の仕事が多いですし、その性質上、銀座ではよく撮影します。

今日は朝から汐留のホテルで、酒造メーカーS社のPR撮影。
バーだから撮影は夜の方がいいのだけど、なかなかホテルの場合は制約が多くて難しい。
おまけに南側全面窓ガラスで高さは10メーターくらいあります。
光がさんさんと降り注ぎ、目を開けているのもつらいほどです(泣
立ち会いに来ているアートディレクターといかにどうすれば、夜のように写るのか、ということを話し合う。
でもこれは結構、無理がありますね(笑
これから加工に入りますが、どうすれば夜っぽく見えるのかなぁ、とずっと考えています。

いったん解散し、夕方から銀座で同じ撮影。
一度、帰ろうかと思ったが、先日、安い駐車場を見つけたのでそこに車を止めることにする。
銀座で6時間まで1600円だから、かなり安いですし、それほど不便な場所でもありません。
最近はちょっと駐車場にも詳しくなって来たので、少しストレスが減りました。
渋滞で時間のない中を、グルグル駐車場探しって大変ですからね。

夕方まであてもなく、街をぶらぶらとしましたが、天気も抜けるような秋空で快適でした。
いやぁ、いろんな店がありますね。
銀座周辺は人口密度が低いですし、がつがつとした人も少ないので穏やかな気持ちになれますね。
人に優しくなれます(笑
若々しさがないとも言えますが、でもこの人何やってる人かなぁ、と思えるような興味対象がたくさんいますし、
いい街だとは思っておりましたが、今日、歩いてみて、やっぱ楽しいとあらためて感じました。

今週は毎日、早朝からの撮影でしたが、明日は久しぶりに眠れます。
ただ帰阪した時から今日までのデータが未加工のままパソコンにあります・・・。
というか、このあいだ、納期を遅らせてもらおうなんて、勝手に言ってた、あのデータもまだだった・・。
なんか・・ちょっと・・怖すぎ・・。
どうしたらいいですか・・。
なんか・・・気の利いた・・新手の言い訳なんか、ないですか・・。

ほなまた。







169 「祝 整体院、開院
 11月9日

頼 幹二郎氏が神奈川県の川崎に整体院を開院しました。
彼は昔からの友人で以前は大阪の某ラボに勤務しており、毎日、写真を集配に来てくれておりました。
その彼が大阪から東京に転勤になって数年後、僕も上京し、これでまた会える機会も多くなるのではと思った矢先、電話が・・。
「実は会社、辞めるんですよ。整体師として独立するんです」

栄転である上京、そして結婚にもかかわらず、起業しようと立ち上がるのは、かなりの勇気が必要だったと思う。
僕たちのように初めからフリーになるためにトレーニングを受けているものと
会社員を辞めて独立しようとする人とでは、決断という意味でかなり意識が違うと思う。

清水の舞台から飛び降りることが、危険だと教えられずに飛び降りた僕たちと
危険かも知れない、けれど新しい世界が広がっているかも知れない、とそこを飛び立った彼らとは意味合いが違う。
当然のことながらこの起業は彼にとって賭けなのだと思うとなんとか応援してあげたくなりますし、
それに「いやぁ、人生は一度だからね、好きなことをやった方がいいよ」なんて言ってしまった手前もあります(笑

HPに書かれた言葉を見れば、その真摯さはよく伝わってきます。

施術に関しての簡単な情報を書いておきます。
料金は80分、7000円(安くない?こんなのでいいの?)
現在のところ訪問施術のみ(だよね?)で、訪問費は川崎周辺で500円、東京、神奈川で1000円です。
カメラマン、デザイナー割引もあるらしい。お世話になっていただけに。

体を触ってもらうだけに、行くのはなかなか勇気のいる整体院ではありますが、
そんな意味ではとてもしっかりとした人物であることを、僕が保証いたします。
最後にアドレスを書いておきますので、気になる方はアクセスしてくださいね。
この日記からは彼のHPにはジャンプしないので、コピーペーストをお願いします。

では頑張ってね。
チャオ。

http://raimikijiro.com/






168 「3度目の帰阪」 11月6日

先週の日曜日から神戸入り。
道程は550kmだけれど、昼食時間を入れても6時間半ほどで着きました。

前回の帰阪は本当に疲れ、今回はかなりの気合いを入れていたせいか、思ったほどの疲れもなく到着。
それでも運転中の姿勢で体が固まってしまって、車を降りてもしばし老人のように歩くのです。

3日間の撮影は天候にもスタッフの人たちにも恵まれ、現像はまだですがとてもいい仕上がりになるのでは、と期待しております。
何はともあれお疲れさまでした。

その後、週の後半は打ち合わせとロケハンで、
一週間も居たわりにはほとんどプライベートな時間がゆっくりと持てなかったのが残念です。

昨日は大阪で友人の結婚式に出席しました。
みんなに祝福されて、お祝い事はいいですね。
お二人がお幸せになることを願っています。

そしてその後、大阪を出発。
いきなりラッシュの渋滞に巻き込まれ、出ばなをくじかれる。
まだ550kmも走らないと行けないのに。
しばしボー然・・。

高速に乗ってからはスムーズ、夜だと言うのに結構なハイペースを維持。
レストエリアで素早く八丁味噌ラーメン定食を平らげ、車に飛び乗り、急発進。
おおこりゃ、早く着けるかも、と思った矢先に集中力も切れ、この一週間の疲れからか、睡魔に教われる。
もう限界と富士川SAで車を停めて、バックシートに転がり込む。
狭いし、椅子固いし、目を閉じてるだけで眠れないだろうなぁ、と思っていたら、
いやぁ、これがもう、気絶したみたいに記憶がありません。
寒さに目が覚めて時計を見たら、午前3時。
どうやら5時間くらい寝てたみたいでした。
このままだと東京の朝のラッシュに巻き込まれてしまう。
慌てて車を発進させ、夜明け前の5時に三茶に到着。

東京に戻ってきたら、ちょっとだけホッとした自分の気持ちが不思議です。
居るだけで不安だったこの街に帰ってきて、ああ、自分の場所だと思えた気持ちをまだ自分なりに消化できていません。
でも少なからず自分の意識の中で変化しているものがあるのでしょうね。

少しだけ仮眠し、先週撮影分のデータを加工する。
思った以上に量がありましたが、でも将来的に書籍に使われるかも知れないものだから、手を抜くわけにはいかず、
今日中には終わりそうになかったので、ちょっと納期を遅らせてもらおうと勝手に決める。

そんなこと考えていたら、今週撮影分の準備をまったくしていなかったことに気がつく。
バック紙を買いに行かないと。
ああ、ポジの上がりのチェックして、明日流すフィルムの指示を考えて、
それと明日、誰かに電話しなきゃいけなかったんだけど、誰だったっけ・・・。
それ以前に電話して何、話すんだったっけ・・・。
というかホントに電話しなきゃいけないの・・・。

まあ、そんな感じで。
全力を尽くします。
ではまた。


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