094  「叫び」 2月27日


また
急かされている。
パソコンの前に張り付いたままだ。
2メガのデータを加工している。
おまけに小さくリサイズしてメールも送らなければならない。
さっそくデザインに入らなければいけないからだ。
日記なんて書いている場合ではないのだけど、ちょっと気分転換。
僕の叫びを誰かに聞いて欲しかったのだ。

納品なんていつでもいいよ、なんて言ってくれる人はこの世にいないのだろうか。
なんなら納品なんてしなくていいよ、とか・・・(お金を貰えなさそう・・・)。
いないな、そんな奇特な人。

そんなわけで再びフォトショップに戻ります。
ではまた。

 

 

093 「笑ってね」 2月26日


時間があればビーツギャラリーの4人展用写真の加工をずっと続けている。
今回の写真は加工にすべてがかかっているのだ。
どれだけ笑いが取れるか。
笑いを誘わなければ、単なるナルシスティックな写真でしかない。
夢にも出て来た。
夢の中の搬入日、僕はその写真をギャラリーに持っていく。
だけど誰も笑わない・・・(泣
ひどい夢だ。

1100万画素のデータを横2m、高さ1m45cmまで引き伸ばす。
A3の写真を25枚、連結させて一枚の大きな写真を作る。
写真を25枚に分ける作業や足らない部分を新たに作ったり、
実際に撮影に費やした時間よりも、スタジオワークの方が大変だ。
横2mという大きさは拡大率の許容量を遥かに越えているので、当然、ものすごい粒子の荒れ方をしている。
初めは25ショット撮影したものを連結させる予定だったけど、 プリントがファインであるということよりも、
その場の勢いのようなものを写真に封じ込めたかったので、今回は1ショットで収めた。

インクジェットの出力もかなり時間がかかるので、その合間に写真を切ったり、梱包したり、メイル書いたり。
そうして出来上がった写真をスタジオの床に並べる。
でかい。
これはかなりでかい。
黒色を基調にしているので圧迫感がすごい。
丁寧にデータ加工をしたものの、思ったほど荒れてなかった。
さすがに近寄ればノイズだらけだけど、少し離れれば普通の写真に見える。
あー良かった。
まだ加工して再出力しなきゃいけないパートはあるものの、全体像を把握できてちょっとひと安心。
何とか間に合いそうだ。


今年は例年になく、穏やかなスタートだった。
毎日、仕事はしていたものの、眠れないほどでもなく、ゆったりとしたリズムで過ごすことができた。
だけど2月の中旬くらいから、突然せわしくなってきた。
撮影を終えた後、別スタッフと別場所でロケハン、その後別スタッフとまた打ち合わせなどなど。
スタジオに帰って来たらぐったりとしている。
仕事がもう少しバラけると何の問題もないのだけど、どうやらみんながこの時期に撮影したいっ、て同時に思うようだ。
まあ、いい季節だしね。

そんなわけでちょっと日記が書けない日々が続きましたが、まだこの先も書けなさそうです。
明日も5時に起きます。
たぶんまだ暗いです。
日曜なのに。
とほほ。

 

 

 

092 「明日は雨です」 2月22日

眠い。
昼間っから眠い。
毎朝7時くらいにはスタジオを飛び出している。
おまけにこのバカ寒いのにもかかわらず、外の撮影が多くて、びっくりするほど体力を消耗するのだ。
昨日はカイロを4つ買った。
ひとつは胃腸の調子が悪かったのでお腹に貼る。
でもモデルがあまりにも寒そうだったので、カイロを全部貸してあげる。
もちろんお腹のカイロは渡してないけど。

撮影はまだまだ続いて、この一連の仕事の最終日は今週の金曜で、そこではクルーズ船上でシューティング。
膨大な機材を抱えて、狭い厨房から船内へ。
エレベーターがないのでデッキへは機材を抱えて上げる。
そして吹きっさらしの甲板で撮影するのだ。
寒いのに。
ただでさえ風の強い海上で、かつ叩き付けるような進行風を受けながら撮影するのだ。
もう信じられない。
何だかちょっと笑える。
撮影と言うか、忍耐力試しゲームに近い。
この過酷さが冒険と言わずになんと言えよう。

まあそんな感じではありますが、いくら寒いとはいえ、晴れていると言うことはとても喜ばしい。
光が溢れていて、撮影に制約がないのが唯一の救いだ。

もちろんべらぼうに寒くて、おまけに天気が悪い日も当然ある。
最近は表現の幅が広くはなったものの、広告の場合はPRだから天気のいい日の撮影が望まれることが多い。
もちろん撮影がセッティングされた日が、必ずしも晴れる訳ではなく、
でもその日に合わせて、カメラマンやモデル、スタイリストなどたくさんのスタッフが集められる。
なのに天気が悪い。
僕はカメラマンとして、撮影効果が期待できない仕事はする意味がない、と思っています。
お金をかけて写真を撮る以上はクライアントが潤わなければいけないし、
僕たちもそのためにプロとして存在しているのだと思っています。
そんなわけで、天気の悪い日の撮影がイメージに合わなければ、みんなの日を調整して、
できるだけ別日を設けられるよう説得します。
でもたくさんのスタッフがいる訳だし、予算も限られているし、難しいんだけど。
ただその状況の中でどれだけちゃんとしたものが作られるか、ということはきちんと考えます。
お金が貰えたらいい、というものではなくて
僕たちはプロですから、その仕事が伝えるべきことをちゃんと伝えているか、
お金が貰えるだけの価値あることを自分はできているのか、ということをいつも考えています。


でもエディトリアル(編集もの、雑誌など)の場合はちょっと別かもしれない。
雨でも晴れでも、与えられたすべてのことをそのまま受け入れて撮影すべきだと思う。
昨日でも明日でもない、今、目の前にあるものを、この瞬間に自分が感じたことを、少ない制約の中で素直にかたちにできる。
それがエディトリアルの面白いところだし、使命であるとも思う。

でも最近は広告、エディトリアル、作品のボーダーが曖昧になったような気もする。
作品はたぶん撮り手の等身大が反映されたものであるから、
それが仕事になるのはもっとも幸せなことだと思う。
でも作品だから妥協できなくて、逆にもっと辛いかも(笑
ただ充実はするだろうし、より真剣にはなるんだろうなぁ。
なんだかちょっと作品が撮りたくなってきた。

 

 

 

091 「わが街のホームレス」 2月18日

自転車に乗って税務署へ確定申告に行く。
たんまりと税金を取られる。
税金を取られるのはしょうがないけど、その金額に連動して住民税や保険代が跳ね上がるのがたまらない。
なんだかわからないけど、事業税というものを取られたりする。
たばこに税金、何か買う時、消費税。税金に税金をかけるガソリン代。
もう何かやったら税金を払ってると思った方がいい。
昔、読んだ本でアメリカかイギリスの著名人が言ってた。
「世の中で税がかからないのは死だけだ」
確かにその通りかもしれない。

税務署へは自転車で5分ほど。
国際交流センター、コンサートホールなど、周辺は公共の施設がやたら多い。
不思議な感じがするのはそれらがオフィス街ではなく、住宅街の中に点在しているということだ。
自分の家の横に外人向けのパスポートセンターがあったりする。
朝は語学学校に向かう外人たちで、車が駐車場から出せないことがある。
そう言えば病院も多い。
それも床数2、300はありそうな巨大な病院ばかりだ。
もう病院が選び放題(あまり嬉しくないか・・)
でもいちばん多いのは学校かもしれない。
とにかく子供が多い。
この辺りはそこそこ有名な文京区で、教育に熱心な親はわざわざ家族で引っ越してくるか、
マンションなどを買い、住民票だけ移動させて地元の小学校に通学させるのだ。
有名私立幼稚園バスが送迎に来る時間には、高級外車が道に沿って100mほど並ぶ。
面白いのはそんな若い母親たちが、ホームレスのおじさんと普通に会話をしていると言うことだ。
ここは日本でもっともホームレスに寛容な街だと思う。
いろんなメディアに取り上げられる有名なホームレスもいるが、
僕が注目しているのはいつもスタジオの前で空き缶を潰しているおじさん。
身長は150センチほどで丸いメガネをかけていて、とてもきれい好き。
いつも新しい服を身に付けているところから推測すると、かなりオシャレに気を使っているのだろう。
そのファッションも毎日変わるのだ。
ある時はワンダーフォーゲル調。時にヒップホップ系。そしてイギリスの釣り人風ツイードジャケット。
趣味も多岐に渡る。
よく公園をホウキで掃除している。
とにかくきれい好きなのだ。
ゆったりとした午後には背中を丸めて読書している。
その横顔を見るといつか哲学でも語り合ってみたいと思わせる。
僕がいちばん好きな姿は楽器を演奏するおじさんだ。
小さな体で膝を行儀良く揃えて、アルト笛を吹いている。
その音の繋がりからそれほど上手ではないということはわかるのだが、
音楽の良さは上手い下手ではない。
その行為の中にいかなる楽しみを見つけられるか、ということだろう。
そのおじさんは僕よりもよっぽど優雅な日常を過ごしているのだと思う。

そのおじさんと話をしたことはないものの、誰かと話をしているその語りは穏やかで優しく、
表情は老けているものの、子供のように汚れ(ケガレ)がない。
でもおじさんは社会に適応できなかったのだ。
この息の詰まるような社会で生きて行くには、おじさんはあまりにも優しく純粋過ぎた。
もしこれが現代ではなく、2000年前だったら、おじさんは人格者として崇め奉られたのかもしれない。
汚れないと生きていけない。
もしくは汚れたものが社会で力を持てる。
それがすべてではないにせよ、正直に生きることがばからしく思える時も多々ある。

でも僕はどんな状況になっても、人としての品格や志を失いたくはないと強く思っている。
おじさんには、かなわないけど。

 

 

090 「ナマケモノの確定申告」 2月16日

まったくやる気なし。
これもすべては花粉症のせいだ。
頭がボーっとして、ずっと眠たい。
薬のせいなのか、それとも花粉症で眠りが浅いのか、よくわからない。
動きに俊敏さがなくて、スタジオでのろのろ請求書を書いている。
腕を上下させるのに2秒ほどかかる。
ナマケモノよりもナマケモノらしい。
ただ幸運なことは撮影のあいだは、それほど症状が気にならないということだ。
緊張のせいか、それとも類い稀なる集中力の成せる技か、これもよくわからない。
まあ、どちらにせよ、リラックスしている時に症状は重くなるみたい。
にがりが効いているのは実感できるし、それでもこの症状なのだから、
本格的に花粉が飛ぶ前にさらなる対処をしなくては大変かも。

今日は朝からロケハン、打ち合わせ、納品後、スタジオに帰って請求書を書き、
少しだけ時間ができたので、確定申告の書類を作る。
まず手始めにクライアントから送られて来た源泉徴収票を順番に貼付ける。
その合計金額が昨年の年収になるのだが、その計算機の数字を見て動きが止まる。
まあそれほど大した数字ではないものの、一体このお金はどこに消えてしまったというのだろう。
謎過ぎる。
ちょー謎だ。
ベールに包まれた僕の私生活と同じくらい、謎だと言えるかもしれない。
腕を組んでしばし考える。
きっと誰かに使われたのかもしれない。
ゴルフ場のロッカーに財布を入れた時、キャッシュカードをスキミングされたかも。
今流行っている新手の犯罪だ。
十分あり得る。
でも僕はゴルフをやらないし、財布をロッカーに預けたこともなかった。
ふぅむ。
ひょっとして無意識のうちにタンス貯金してたのかも、と思いスタジオの引き出しを開けたり閉めたり。
ハッピーターンを発見し、食べながら休憩。
しばし目的を忘れる。
ナマケモノがさらに怠ける感じ。

やっぱ使ったのかなぁ・・。


 

 

089 「TOOL」 2月13日

夕べ、そば屋でカレーライスを食べていた。
スタジオから歩いて15秒のところにある更科というそば屋だ。
そば屋なのにカレーがうまい。
そして1100円とちょっと高い。
でも700円もコストがかかってんだから、とおじさんが言うのだからしょうがないか。

僕はいつもそば屋で車の本を読む。
ここにあるのはカーグラフィックやナビなど、主に外車を扱った本だ。
そこに「トラブル講座」らしき題名のものが連載されていて、今回は「エンジンが止まった」だった。
文面を読みはじめると「走行中、エンジンがストンと止まった」と書かれてある。
すぐにイングニッションコイルだ、と思った。

高校生の頃、バイクのレースをやっていて、それ以降もバイク修理や車の整備会社で長い間、アルバイトをしていた。
まだ学生の頃だから、もっとそれなりに色気のあるアルバイトがあったはずなのに、
いつもスパナを握って車の下にもぐり込んでいた。
理由は単に楽しかったからだ。
トラブルを抱えていた車体が調子を取り戻す。
何年も動かなかったままのオートバイが、息を吹き返す。
いつも「やった」と思う瞬間。
何が悪いのかを考えて、それを直し、復活させる。
そのすべての過程が自分の目の届くところでできるという面白さがある。
そしてダイレクトに結果として表れる。

以前アメリカにいた時に親にお願いして30万円借り、工具を買った。
それはずっと憧れていたツールで当時、日本で同じものを買えば、100万円くらいはしたと思う。
帰国後、アルバイトで少しずつお金を返したが、まだ20才そこそこの僕にとって30万はものすごい大金だった。
よっぽど欲しかったのだと思う(笑
車一台を分解整備できるだけのツールだが、でも残念ながら僕はエンジニアという仕事には就かず、
紆余曲折を経て、カメラマンになった。
それでも頑張って買っただけに、あのツールには特別な思い入れがある。
この先もずっと手放さない僕の宝物のひとつだと思う。

最近は機械イジリをすることもできず、もっぱら時計を分解して遊んでいる。
昔買った自動巻の時計の文字盤をアンティーク風にリダン(加工)しようとして、分解を始めた。
するとリューズにガタツキがあることに気付き、直す。
さらにそれを調整したおかげで他の部分に調子の悪さが飛び火。
それを繰り返している間に立ち入ってはいけない心臓部へと。
ポジ用の10倍ルーペとピンセットを手にし、禁断の世界へ。
手が震えるので呼吸ができない。
息が苦しい。
もう部品が小さ過ぎて見えないのだ。
何とか組上げても調子が悪く、動いててもパタリと止まる。
またバラし、組上げるを3日間くらい繰り返す。
部品の位置は合っているだろうから、きっと調整不足なのだと思う。
車の場合もそうだけど、組上げることはそれほど大変なことではなくて、
難しいのは調整や他のパーツとのバランスだったりする。

その点は写真も良く似ていて、しっかりとした構図を決めた後、
どれほど細部を煮詰められるかが、プロにとっては大きなポイントだろうと思う。
細部に固執するのもどうかと思うけど、でもそうあろうとすることが、底辺を引き上げてくれるような気もする。
でも「木を見て森を見ず」というのも問題だけど、どちらが大事かと聞かれたら、
やっぱり細部よりも全体をどうしたいかだろうなぁ。

でも時計はそんなことでは動かないのだ。
知り合いの時計屋に泣きつくハメになる。
今日もまた、トホホ。

 

 

088 「インターネットショッピング」 2月11日

インクジェットカートリッジがどっさりと送られて来た。
最近は色数も増えて買い揃えるのが何かと面倒くさい。
昔は4色5色、その前は全色一体型だったのが、近頃、7,8色に増えた。
それゆえカメラ屋に行く時は何色が足りなかったかを控えておかないと、わからなくなってしまう。
おまけにこれが結構高いのだ。
製造コストでいえばそんなに高いものではないと思うのだけど、でも正確な発色のためには純正インクしか選択肢はなく、
ため息まじりにヨドバシの黄色いバスケットに商品を放り込むのだ。

でも最近は欲しいものがあるとまずネットで検索することにしている。
今回も「エプソン インクカートリッジ」で検索したらとても安い会社があった。
カメラ屋の店頭価格よりもひとつあたり200円安い。
仕事に使う僕にとってインクは大量に消費するものなので、この値段の差はかなりありがたい。
2回転分買えば、ちょっとしたディナーが食べられる金額が浮くのだ。
おまけに店頭に買いに行く時間がいらないし、つい余分なものを衝動買いしてしまう危険性もない(ネットで衝動買いすることはあるけど)

そんなわけでネットでの購買システムはとても優れている。
ただそれも知っている商品を買う時にかぎる。
僕は時計が好きなのでよくネットで買うのだが、時計の場合は商品を知っていることも大事だけど
それが自分に似合うかどうかということもとても大切なのだ。
似合うということはデザイン性ということもあるのだけど、それ以上に体の大きさにその時計はつり合ってるのか、ということが大きい。
それは説明文のケースサイズというところから、推測する。
大柄の男性なら36mmくらいが基準で、好みもあるがそれより小さいと迫力に欠ける気がする。
ただ径だけでは語れなくて小さくても厚みがあれば、大きく見えるし、
逆に径が大きくても手巻きはローターがないのでぺたんと小さく見える。
厚みがわからない時はオークションのQ&Aで聞き出して、こっそり想像するのだ。
それが現行品であれば時計屋で着けさせてもらえば感じは掴めるのだけど、
僕の場合はアンティークものが好きなので同じ商品を近くで探すのは、ほぼ不可能だ。
なのに珍品と書かれたコピーには心が踊る。
迷って迷って迷った挙げ句、勇気を出して入札する。
たいていの場合、自分が設定した金額では入札できないことが多いのだけど
たまに勝ち取った商品はいざ送られてくるとこれまた、たいていの場合、がっかりする。
まあ、いいものは安く買えないということだろう。
これも社会勉強だとあきらめる。
いったい何才まで社会勉強をするのやら。
トホホ。

 

 

087 「新しいカイロプラクティック」 2月8日 


今日、時間を見つけてカイロプラクティックに行った。
肩こりや背中の痛みがいつまで経ってもとれなかったからだ。
仕事をし続けて疲れが溜まってくると、いつも決まって首が回らなくなった。
首が回らないといっても借金の話ではない。
借金はあるが、そっちの方は今のところ、かろうじて首は回せる。

柔道の整体師がいて、もう体に限界が来るとそこに行っていた。
するとあんなに調子が悪かったのに嘘のように治るのだ。
振り向くことすらできなかった首がブルンブルンと回るようになる。
もちろん体調も良くなる。
初めはちょっと感動した。

ただそこは僕の自宅から遠いというのがデメリットだった。
それゆえいつも限界まで我慢することが多かったのだ。
体を触るわけだから、こちらも慎重になるし、そんな理由で新しいところに行くのも恐かった。
でも遠い療術院に行くような時間もない。
そんなわけで勇気を出して、新しく開拓することに決めたのだ。

パソコンで近いところから探していく。
いつもパスタを食べにいく、喫茶店の真ん前にもあるが、何かあると気まずいのでそこは避ける。
HPからいかにその療術院が熱い想いを持って整体に取り組んでいるかを探る。
まれに見る集中力だ。
これほど集中することは撮影でもめったにない。
スタジオから3駅ほど先のところに良さげな療術院を見つけた。
閑散としていて、患者の気配もなく、ヨボヨボの整体師だったらどうしようと思いながら行くと、とても流行っていた。
どんどん若い患者がやってくる。
その整体師は「痛いのはここだね」と僕の背中を触る。
確かに痛いのはそこです。
骨格模型を持ち出して来て、今、君の背骨はこうなっていて、それゆえ痛い、ということを分かりやすく教えてくれる。
後、押して痛いのは肩と首の横の部分で、「ここだね」とそこもズバリと的中。
「じゃあ、肩の力を抜いてぇ・・ボキボキッ。まだ痛い? 」
「あっ、痛くないです」
「はい、じゃあ今度はここ・・ボキボキッ。どう?」
「あれぇ、痛くないです。不思議だなぁ」
そんな調子で体の痛みがどんどんなくなっていく。
言葉に説得力があるし、この人なら大丈夫だろうなぁ、という信頼感のようなものもある。
どんな職業にも信頼感というものは大事だなぁ。

骨が定位置に戻り、血流が良くなったせいか、体が火照って少しだるい。
でも痛みはまったくなくなった。
スタジオに戻ってパソコンのマウス用タブレットを右に戻す。
やっぱりマウスは右だな。
自分でもびっくりするくらいのマウスさばきにホレボレ。

何でもっと早く探さなかったんだろ。

 


086 「背中痛とクッショニングジェル」 2月6日

背中がかなりヤバい。
きっと肩こりから来ているのだと思うけど、針で刺すような痛みがある。
パソコンのやり過ぎに違いないが、でも仕事なのでやらない訳にもいかない。
みんなが首を長くしてその仕上がりを待っている。
ただ心なしか以前よりも催促が優しくなったと思うのは気のせいだろうか。
もしそうだとするなら、僕がこの日記で「加工が大変だ、あー大変だ」と言い続けて来たおかげかも知れない。
まあ、ちょっとは頑張っているみたいだから、少しは大目に見てやるか、と言った感じだろうか。
シメシメ。ウシシ。

でもさすがにマウスを持つのも辛い感じで、今日一日、左手でマウスを握っていた。
「えー右クリック、左クリック、Wクリックは中指で2回」とか、いちいち手元を見て考えなければいけない。
だけどカーソルがいい位置に止められないのだ。
「あれっ、通り過ぎちゃった。あれ、もっとこう、あっ、違うとこ押しちゃった」
そんなこんなで普段の2倍ほどの時間を費やした感じ。

インクカートリッジを買いに行くついでに、背中に負担のかからないアームレストのようなものを探す。
でもなかなかいいものが見つからなくて、マウス売り場周辺をブラブラしていると
クッショニングジェルと言う怪しげな商品を発見する。
マウスを持つ手首をサポートするものらしく、似たような商品はあったがそれらにはなかった不思議な魅力がある。
薄緑のゴムの中にジェルらしきものが入っていて、プニョプニョしている。
目を閉じて触れば人の肌みたいだ。
これで楽になるならと買って帰って使ってみる。
なかなかいい。
手首を支えながらも手が自由に動くのでマウスの操作が軽い。
データを開いたり、読み込んだり、ちょっとした時間待ちはそれをプニプニつねってみたりする。
やっぱり不思議だ。
人の肌みたいだ。
こんな等身大の人形ができたら売れるだろうなぁ。

 

 

 

085 「写真は残りますか」 2月4日

気が付けば2月になっていた。
あわてて今月用のページを作り、リンク先を設定する。
これって結構やっかいだ。
月分けせずに過去から現在までの日記を、つなげちゃった方が楽なのは確実。
でも分けることで何か整理しやすそうな気もするし、季節感とか・・・。
まあ、また考えることにする。


そんなわけで今日のテーマは「写真を残す」です(いつもテーマなんか、あったか・・)
前回の話では、というか、基本として僕は職業カメラマンとしての視点で考えたことを文章にしている。
たまにみんなと話をしていて、話題になるのが「自分の写真は残るのか」ということ。
前回、日記を書いているとき、どこかでふとそのことを思い出した。
読み返してみたが、それがどこであったのか、今となってはわからない。

今日、写真業界紙を読んでいたら「広告、エディトリアルカメラマン」と「写真作家」について触れられてページがあった。
カメラマンの仕事は他のスタッフとチームになり、商品(これはモノであったり、人であったり、イメージであったり、
とにかく多岐にわたる)を売るための写真を撮るというのが普通。
一方、写真作家は何の制約も受けずに自分が撮りたいものを撮るというのが、これまた普通。
営利目的でない自由な表現なだけに純粋であると思えるし、
作家からすればカメラマンの仕事はそういった意味で不純である、という話を時に聞く。
絵や音楽と違って写真の場合は立ち位置がたくさんある。
100%商業カメラマン。休みの日はカメラなんて触らない、という人。
100%写真作家。カメラを抱いて眠りたい。できるなら風呂にだった入りたいくらいだ、という人とか。
それらの両対極の間に僕たちは属し、どちらに比重を置いているかは人によって違う。
だから「写真を撮る人」として一緒くたに扱われてしまうと、これがまた厄介なのだ。
写真を撮るという行為に対しての考え方は、人それぞれなのだから。
でも僕はそれでいいと思う、というか、もうそうなるしかないのだけど。
ただどちらかが正しくて、どちらかが間違っているということもないし、
商品を売るためにスタッフが全力を尽くす、という行為はシンプルで、美しく純粋だと僕は思うのだ。
立つ位置によって考え方は変わるのよね。まったくもって。


カメラマンはともかく、作品を撮る人たちから「写真を残す」という言葉をよく耳にする。
おそらく写真を風化させず、未来に残したいという意味だろうと思う。
でも僕はその言葉を聞く時、いつも引っかかりを覚える。
なぜなら写真とは消費するものであり、風化させるものである、と思っているからだ。
過去に撮られた写真なのに、今、見てもカッコイイというものはたくさんある。
でも撮り手はそのとき、未来に自分の写真を残そうとして撮ったとは思えない。
未来に残すどころか、その一瞬を、全力で、余すことなく時代感を投影して来たのだと思う。
だからこそ媚びない強さや、美しさがある。
後先を考えず、今、この一瞬を全身全霊で切りとればいいのだ。
僕からすれば写真とはそういうものだと思う。
残る残らないというのは撮り手が考えることではないし、残すため、という言葉の中には不純さの響きすら感じられる。
まあ、でも、そういう僕も実は「残そう派」だったのだけど(笑
でもね、なかなかそうはいかんのです。
いつもいっぱいいっぱいだから、写真を残そうなんて考える余力はないし、
それに人間は考え方が変わるのです。
いろんなことを僕なりに深く考えた時期があって、絵でも音楽でもなく、
僕にできること、写真にできることはなんだろう、とずっと思ってた。
世の中にはすごい人がたくさんいるし、そんな人たちと同じフィールドで関わっていくためには
自分の能力を最大限引き出せることが、まず第一歩という感じがする。
着いて行けるかどうかは、また別の話。
そんなギリギリの状況で僕ができることといえば、与えられたことを現在の素の感覚で切りとるしかないのだろう。
残る残らないは、撮る段階で考えることではないと思う。
でも一瞬で消えるほど、尖った写真の方がカッコイイのかもしれないけど。