104 「book」 3月31日


仕事の合間を縫って、ブック作り。
東京でもいろんな人に写真を見せないといけないので、
その人たちに見せるために最新のものに更新する予定。

ここ一年ほどで撮りためた作品や仕事の写真からリストアップ。
そのすべてがパソコンからのチョイスなので、クリエイティブに力を入れて撮影したものはすべてデジタルなのだ。
もちろん加工してインクジェットで出力しやすいということもある。
データはストレートに出力することはなく、今の僕なりのイメージを付け加えるようにしている。
最近流行っているのはボケだ。
例えば超広角なのに背景が緩やかにボケているとか。
そのボケ感をナチュラルにするのは少々手こずったけど、ボケ感の違う2枚の写真をレイヤーすることで解決。
不思議感のある写真が出来上がる。
加工を上手にすることで面白いと思うことは、
どんなにアオリを使っても、ストレートに撮るだけでは絶対にできない描写を作ることができるということだ。
でもそれは見る側が気付くことも稀で、何かが違う、どこかおかしい、こんなの見たことない、という
言葉にはしなくても、写真を見ている人の顔を伺っていればそれがわかる。
見る側の経験値としてそんな描写はなかったらしく、どうやら自分の中で消化や解釈ができないみたいだ。
不思議そうにしているその顔を見るのは面白い。

ブックには入っているが、HPにはアップされていない写真は多い。
そうしないとHPを見てくれている人がブックを手にする楽しみがないと思う。
そういうわけでブックにはかなりスペシャルな写真を用意する予定。
それに写真は液晶顔面ではなく、できるだけ手で持って見てもらうべきだと思うのだ。

まだ少し時間はかかりそうだけど、いいものができれば嬉しいです。
なんだか小学生っぽい終わり方だな。

 

 

103 「カメラ」 3月28日


とりあえず昨日、ずっと伝えなきゃと思っていたことを書くことができたので、ひと安心。
昨日のように文章化するのはそれほど緊張はしないけど、
クライアントの人たちを前にして「実は・・・」と話を切り出すのはかなりドキドキものだ。
みんなも僕の真剣な顔を見て、えっ、どうしたのと怪訝な感じだし、緊張感はますますヒートアップ。
「実はあの時の横領犯は僕なんですっ!」くらいの話を用意しとかないといけないくらいの雰囲気でした。
いやあ、告白するって大変ですね。

まあ、何はともあれ、電車に乗ってキャノンプロサービスへ。
デジカメのセンサー部分に付いた、自分では取れない汚れを清掃してもらうためだ。
同時に銀塩のカメラを2台、ショット数を教えてもらうために持って行く。
カメラ3台をバッグに入れるとかなり重たい。
いつもなら車だけど、 キャノン以外にもいくつか用事があったので、結局電車にする。
久しぶりにあんな重たいものを肩に背負ったので、もうこれを書いている時点で筋肉痛。
明らかに運動不足です。とほほ。

ショット数はデジタルが14000カット。35mm換算では389本。
銀塩は両方とも60000ショットほど。各1667本。
銀塩は5年は使っているので計算すると1日あたり0、9本。
たぶん30枚くらいだろうか。
そのボディが3台あったので、毎日90カットくらいの写真を撮っている。
それって多いのかな。
おそらく少ないのだと思うのだけど。

僕はあんまりぱしゃぱしゃシャッターを切る方ではないと思う。
人でも物でも、自分がいいな、と思うタイミングや表情が来ないかぎり、シャッターは押さない。
そんな写真は撮ったところで使わないことはわかっているし、
自分の感覚にそぐわないものを撮って、それが扱われても不本意だし。
ただそれと同じ理由で、その瞬間が突然やって来たら、僕はとにかくシャッターを切ることにしている。
ピントも露出も手振れも気にならなくて、とにかく今、この瞬間を押さえなきゃ、という衝動に駆られるのだ。
それって何だろう。狩猟本能のようなものだろうか。
そんなこともあり、僕は操作が煩雑なカメラはあまり好きではない。
ただ操作が厄介であったり、儀式めいた行為が必要なカメラほど、作りや描写が魅力的な場合が多い。
僕もモノ好きだから、モノとしてそれらのカメラは大好きだ。
でも僕にとってカメラはあくまで自分の感覚を置き換えるための道具だから、
撮る瞬間、操作に気を配っている時間などないのだ。
撮りたいと思った瞬間にいかに反応できるのか、ということが今の僕にとって、すべてだし、
その瞬間はすべての感覚を、ファインダーから見える風景に集中したいという想いが僕にはある。

今持っているシノゴは3台目になるが、それを買うにあたり、ものすごい数のシノゴを触った。
おそらく現存している世界中のそれの、ほぼすべてを触ってみたと思う。
カンプ(黒布)をかぶり、手元の見えない状態で、いかにすべての操作を違和感なくできるか、を繰り返す。
最後に残ったのはドイツ製と日本製のカメラだった。
美しさとステイタスでは圧倒的にドイツ製に軍配が上がるのは、誰の目から見ても明らかだった。
日本製のものも飛行機のジュラルミンを使い、現時点における最高の加工技術によって作られたものだから、
値段はほぼ同じくらいだったように思う。
カメラマンなら誰もが憧れるドイツ製の美しいカメラ。
これはかなり悩んだ。
でも僕は結局、日本製のカメラを買った。
自分が何をしたいかと考え、それをかたちにするためには、何が必要なのか、ということをずっと考えた。
僕が今、手に入れるべきものは憧れではなく、
自分の気持ちにフィットし、反応してくれる相棒である、という結論に至ったのだ。

ただドイツ製のカメラが嫌いなわけではない。
今は無駄なものを買うような余裕がないけど、いつかは買いたいと思う。
それもたくさん。
フィルムも入れず、部屋の中でぱしゃぱしゃ撮ってはクロスで磨き上げるのだ。
やっぱ、昔のカメラは作りがいい、とかそれっぽいことを言ってみたりする。
ほとんどマニアだな。



 

102 「上京」 3月27日


ずっと話そうと思っていたことを今日、書ければと思っています。

僕は今年の夏までに上京します。
スタジオを引き払って、東京に移住することを決めました。

東京で仕事をすることは僕がカメラマンになった頃から考えていたことでした。
今から7、8年前のことです。
そもそも僕が写真を撮るようになったのは、自分が感じ、伝えたいことを表現するための手法として、
写真を撮り、文章を書くことが最もそれに適している、と思ったからでした。
当時、たくさんの人に会い、その中で感じたことは、
僕がやってみたいと思うことは関西の土壌には望まれていなかったということです。
それを発表する場所がここにはなかった。
東京にあるかどうかはわからないけど、まだ可能性はあると思った、というのがその動機だったように思います。

上京を数カ月後に控えたある日、脳のそばに悪性腫瘍が見つかりました。
手術は成功したものの、それは再発しやすい種の腫瘍でした。
一旦、上京を延期し、 完治させてからと思っていたところ、1年後に再発。
腫瘍を摘出したものの、その半年後にまた再入院という、
どうしても関西を離れさせてくれない、そんな運命に縛られているような気さえしました。

結局、その数年のあいだに派生的に繋がったカメラマンの仕事が何となく定着し、
そのまま今に至るのですが、ただ僕が思った以上に写真を撮るという仕事は面白いものでした。
これほど夢中になれるなんて思ってもみなかったし、
それゆえ時間はあっという間に過ぎていきました。
ただそれでも今やっていることが、自分が望んでいる最終形であると思ったことはありません。
僕がやりたいのは「撮って書くこと」。
それが自分の想いを伝えられる最もシンプルなかたちだし、
とても効果的な方法に思えました。
じゃあ、何を伝えるのか、といういちばん大切なコアの部分。
正直言うとそのところはかなり漠然としたままです。
ただ何となく思っていることは記録ではなく、ある感覚の部分。
僕が感じた事柄であり、手あかの付いていない対象物。
そのアプローチはどうするのかだとか、考えなきゃいけないことはたくさんあります。
楽しい苦しみです。
ただ、まずはカメラマンとしてやっていくことが大事なのだと思います。
その視点から感じ取ったものを蓄積し、機が熟した時、それをかたちにできればと今は思っています。

年齢的にも今回の上京が最後のチャンスだろうと考えています。
腫瘍もかなり高い確率で再発するだろうと言われていますし。
当然のことながら、時間は永遠にあるわけではなく、
それゆえ僕は2年前、少なくとも5年間は走り続けると心に決めました。
自分が全霊をかけて、何かに懸ける時間を一生のうち、5年間は持ちたいと思いました。
走り続けることで自分に何ができるだろう、 ということを試してみたいのです。

そして先日、僕が上京することで、ご迷惑をおかけしそうなクライアントの方々にはその旨をお伝えしました。
嬉しかったのは、「とても残念なことだし、ちょっとうちも本当に困るのだけど、
でも個人的には頑張って欲しい。応援しています」と皆が揃って言ってくれたことでした(泣
まだ広告、制作会社、デザイン事務所等、ご報告させて頂かなければならないところもたくさんありますので、
近々、ご挨拶にお伺いできればと考えています。

こんな僕がいちばん自慢できるのは、とても人に恵まれているということです。
いくら写真を頑張っていようとも、それを生かしてもらう機会がなければどうしようもありません。
今でこそ、そこそこ写真が撮れるようになりましたが、
まだまだヘタッピーな頃、海のものとも山のものともわからない、こんな僕に、
根気良く仕事をくださった方々には、頭が上がりません。
その後も、さまざまな方との関わりの中で、皆さんに育てて頂いて、やっとなんとかここまでやってこれました。
こんな節目に際し、あらためて実感させられます。
結局は人との繋がりがいちばん大事なのだと。
感謝です。

予定では遅くとも7月中には移住するつもりです。
それまでは今まで通りのスタンスで仕事をしていますので、ぜひ声をかけて下さい。

とりあえず、ご報告まで。



101 「鉄人28号」 3月26日


最近、何だか知らないけど、やたらとテンションが高い。
運転しながら奇声をあげてみたり、江戸っ子噺家みたいにひとりで機関銃のように話し続けている。
自分でも俺っておかしいなぁ、と思いつつもそれが止められない。

ゆうべの夢は鉄人28号、実写板だった。
僕は鉄人の中に入り、それを操作している。
確か鉄人は遠隔操作だから、中に入るなんてあり得ないんだけど、
まあ、夢の話だし、とりあえず許して欲しい。
ともかく僕はその中でパンチ、キックを繰り返す。
すると鉄人もリアルタイムに僕と同じ動きをするのだ。

僕は何代目かの鉄人オペレーターでこれからたくさんの悪を倒し、ヒーローに上りつめていくのだ。
ビギナー鉄人の僕が活躍する機会は早速、訪れる。
国会議事堂が悪の手によって、破壊されようとしている。
僕は空を飛び、足の裏から火を噴きながら、議事堂近くの道に着陸。
何だか鉄人の様子がおかしい。
勝手に議事堂の方に近づいていく。
「おいっ、鉄人、どうしたんだ」
鉄人は聞かない。そして拳を大きく振り上げる。
「おーいっ、やめろぉー!」
僕の言葉も空しく、拳はバコッと議事堂の壁を突き破る。
そしてとどめにそれを蹴り上げた。
すると議事堂はマンガのように遠くに飛んでいってしまった。
まあマンガなんだけど・・・。

すると自衛隊の戦闘機は鉄人を囲むようにブンブン回りはじめる。
「ちょっと待ってくれ。違うんだ。」と僕は手のひらを突き出し、
待ってくれというポーズをとりながら自衛隊を制止しようと試みる。
なのに鉄人はゴリラのように両拳を高々と挙げて、ファイティングポーズをとるのだ。
「待ってくれよぉ。動き、ぜんぜんちゃうやん(汗」

そんな悪夢だった。
とてもよく現実とリンクしている。
おそらくオーバーキャパシティが僕をハイにさせたり、どうにもならない夢を見させているのだ。
やらなければいけないことがたくさんあるのに、それをこなし切れていないからだと思う。
でもなんで鉄人28号なのだろう。
もっと、こう、現実味を帯びた設定にどうしてならないものなのか。
ミクロの人間になって公園を探険したり、
香港の市場の中をカーチェイスしたり(ジャッキーチェンか)
そんなおかしな夢ばっか。
まあ、楽しいからいいけど・・・。


 

100 「カメラバッグ」 3月20日


ホイールを変えた。
3月に発売予定だったのでそれを待ってオーダー。
届くとすぐに取り付ける。
かっこいい。かなりイケてる。
すごく速そう。
ただホイールといっても車のものではない。
カメラバッグのタイヤだ。
車のホイールも変えてみたいけど(と貯金通帳を覗き込む)
まあ、今のホイールでも走るし、いいか・・・。

カメラバッグについているのは大抵の場合、ゴムのかたい安物のタイヤだ。
実はこいつがまた厄介なのだ。
路面状況によっては回りに申し訳ないほどうるさいし、
その振動が手に伝わって腕がしびれることがある。
それに収納してある何かのネジが外れていたり、レンズの鏡同が壊れていた時もあった。
すべてはその振動のせいだ。

そんなわけで僕はタイヤ付きのカメラバッグを買うと必ず、インラインスケートのホイールと取り替える。
多少の工作知識は必要だけど取り付け前との差は歴然としている。
その軽やかさにはちょっと驚くほどだ。
今回取り付けたのはスキーで有名なサロモン製の90mm径でかなりでかい。
できるだけ大きなホイールを付けた方が直進性もいいし、何といってもかわいい。
荷物を引っ張るのが楽しい。
新しい傘を買ったら、雨の日が楽しくなるのと同じようなものかもね。

普通の人が使えるようなカメラバッグは数もさばけるし、リーズナブルなものもたくさんあるが、
僕たちが使うような大型で、プロテクションのしっかりとしたものは高価な場合が多い。
ちょっとしたヴィトンのバッグなら買える値段だと思う。
写真とは関係のない、バッグに大枚をはたくのは勇気のいることだけど、
どんなに酷使してもへこたれない、その屈強さには時に感動する。
その大抵はアメリカ製で既存のバッグに不満を持っていたカメラマンが立ち上げたメーカーがほとんど。
それゆえそのカメラマンと撮影スタイルが合えば、これほど使いやすい道具はない。
個人的にはチープなものや、ニセモノっぽいものも好きだけど、
納得できるカメラバッグを手に入れるためには、ある程度の投資は必要かもしれない。

10年以上前。
まだプロダクションに所属していた頃、お金を貯めてアメリカ製のバッグを手に入れた。
すっごく嬉しくて意味もなく、ジッパーを開けたり閉めたり、カメラを出したり入れたり。
畳の上でゴロゴロと引っ張ってみたり。
5年くらいは毎日のように仕事に出かけた。
そういえば何度も飛行機に積まれて海を渡ったっけ。
ジッパーの持ち手にはX線を通過した印のステッカーが、こびり付いて取れなくなってる。
さすがに今は一線を退いてはいるが、ストロボケースとして第2の人生を歩んでいる。
ちょっと柔らかくはなってしまったが、まだまだ現役だ。
僕がカメラマンをやめないかぎり、ずっとここにあるのだろうと思う。

 

 

099 「ジェノバ イタリィ」 3月18日


このあいだとは違うアシスタントとメシを食べてる。
今週のギャラリーは誰だったかなぁ、という話題。
確か女子高生の青春を題材にしたような写真展をする女の子だった。
おそらくその時代に特別な思い入れがあるのだろうと思う。
でも何だかその気持ちもわかるなぁ、と僕は言う。
どうわかるんですか、とアシスタントは尋ねる。

『まあ俺の世代にはたくさんいると思うんだけど、もし叶うものならステイツで学生時代を過ごしてみたかった。
 場所はカリフォルニア。 いわゆるゴールデンステイツさ。
 ダンスパーティーには愛車の67年製 マスタングで乗り付ける。
 カラーはレッドで、もちろんトップは潮風感じるオープンなのは当然。
 オレ様はフットボールのスタープレイヤーで彼女はチアリーダー。
 名前はキャンディ』
アシスタントは唐揚げ定食を食べながら言う。
「映画の見過ぎじゃないですか。 あほくさ」
「・・・」

まあ、そんなこともあり、やっと今週の撮影も終了して心置きなく風邪をひくこともできそう。
でもPCにはまだ手つかずのデータ6ギガ分が眠っている。
もういっそ、そのまま眠っててもらえないでしょうか・・・。
なかったことには・・・・・ならないだろうな。
連休にやるしかないなぁ、と思いつつロケハンの資料を見る。
明日のロケハンは海辺のカフェだ。
まあるい円柱状のかわいいかたちをしていて、どことなくレトロスペクティブな感じ。
オープンカフェの向こうに海が広がっている。
とても日本にあるとは思えない。
こんな場所があるんだと写真を眺める。
そういえば「今度ここで撮影するんだ」とあるスタイリストに言ったら、本気で羨ましがっていたっけ。

イタリアのジェノバに同じようなロケーションでこれに似た建物があった。
とても全体的な雰囲気が似ている。
まるであの海岸線をそのまま移築したみたいだ。

縁があるのか、僕はジェノバを3度ほど訪れたことがある。
ジェノバは日本でそれほど知名度があるわけではない。
日本でイタリアの旅というとローマ、ミラノ、フィレンツェ、ベネツィアを周遊するコースが一般的で、
そこにジェノバが入ることはまずない。
ジェノバはイタリア北部、地中海に面し、リビエラと呼ばれるリゾート地だ。
料理は海産物が多いので魚中心で、日本人には合うと思うのだけど。
イタリアといってもドイツに近いので、物静かな人も多く、ローマのような喧噪もない。
でも本質的には底抜けに明るい人が多いので、旅で出逢った人を思い出すだけで笑えてくる。

僕はイタリア人から見ると恐ろしく子供のように見えるらしい。
まあ、童顔ではあるけれど、他のヨーロッパではあまりそれを意識したことはなかった。
どうやら高校生くらいのように見えてるみたいで、実際の年齢をいうと皆、口を開けて絶句していた。
でもカメラマンとしてイタリアまで来てるわけだから、高校生はおかしいと思うのが普通だと思うのだけど、
イタリア人はそうは考えないらしい。
子供に写真を任せて大丈夫なのかと皆が心配してくれる。

ガイドのおばさんは「歩く時は私のそばから離れちゃだめよ」というし、
突然、おばあちゃんの集団に呼び止められて「あなたどこから来てるの、こんなところで何やってるの」とか質問攻めにあうし、
デニーロ似のレストランオーナーには「困ったらうちに来なさい」とずいぶん親切にしてくれた。

そんな感じでジェノバはいつも楽しい。
でもかなり長いことイタリアも行ってないなぁ。
あー何だか行きたくなって来た。
次、行くならイタリアだな。やっぱ。

 

098  「トレジャーハンター」 3月14日


撮影を終え、北新地を通過して現像所へと向かう。
いわゆる高級クラブに出勤のため、髪をきれいにセットした人たちが行き交う。
助手席のアシスタントが言う。
「川田さんはもしお金持ちだったら、どんな人生を歩みたいですか」
もしお金持ちだったら、という問いかけ自体、僕がお金持ちじゃないという前提の上に投げかけられた言葉だから、
ちょっとムッとしたものの、確かにその通りお金持ちじゃないので、そのまま話を続けることとする。

『オレがもし生まれ変わって働かなくていいほどの資産家だったら、トレジャーハンターになりたいぜ。
 いわゆる一攫千金、宝探しをする人だ。
 考えるだけでわくわくする。
 でもオレは土を掘り起こして、ダイヤモンドを探すようなことはしない。
 オレの舞台は海だ。
 場所はインド洋(深い意味はない。何かカッコ良さそうだから)

 金塊を積んで沈没した船の情報をあるルートから入手する。
 そして金をバラまいて腕利き船長とダイバーを雇う。
 オレ様の巨大なクルーズ船で金属探知機を使い、砂に埋もれた沈没船を探すのだ。
 アロハシャツ姿でまわりはインド洋のサンゴ礁(浅瀬に沈没船があるかどうかはわからないけど、何だか気持ち良さそうだから)
 夜は船のテーブルの上に宝地図を広げ、くわえ葉巻きとコンパスのようなモノを片手に、
 船長やダイバーたちと潮の流れを計算し、綿密に沈没船の場所を突き止めていく。
 考えるだけでゾクゾクするぜ。

 海がシケると港に戻り、ホテルでリゾートな時間を過ごすのだ。
 タキシードを着てカジノにも向かうし、ルーレットを回したりもする。
 ベロベロに酔っぱらい皆を油断させながらも、天気が回復する話を耳にするとキラーンと目が輝く。
 まあ、ジョージ クルーニーみたいな感じかな。』

そんな話をアシスタントにすると彼女は言う。
「映画の見過ぎじゃないですか。あほくさ」
「・・・」

まあそんなこともあり・・、このあいだ銀座のニコンで写真展をした上地君の作品展を見にジャンジャン横丁へ。
一人寂しくしているもんだと思っていたが、以外と賑わっている。
おまけに朝日新聞の取材まで来てる。
とりあえず僕も写真展の盛況ぶりを伝える写真のサクラになりすます。
運が良ければ朝日に登場するかも。
まあ背中姿ですけど。
急がしそうだったので感想はまた別の機会に。

一旦、スタジオに帰ってこの日記を書く。
あっという間にロケハンと打ち合わせに行く時間だわ。
では行ってきます。


 

 

097 「光源についての話」 3月13日

 

長いあいだ、書いておりませんでした。ごめんなさい。
3月に入って、まだ3回目だったのだ。

何だか2月の中頃から、何かの火蓋が切って落とされたかのように、仕事が押し寄せて来た。
この10日くらいで僕は一体、どれほどの時間ファインダーを覗き続けたのだろう。
花粉症のせいで目がシバシバするというのに。
撮影、ロケハン、打ち合わせ、データ加工、プリント、色見本作成の行程をひたすら繰り返しながら、
これまで溜まったすべての仕事の発送パッキングを先ほど終えた。
本当は直接、写真を手渡せた方が愛があっていいのだけど、必ずしも先方がいるわけでもないし、
少しでも時間を有意義に使いたい時や、時間指定ができるという点で宅急便はかなり嬉しいシステムだ。
往復の電車代ほどで僕の荷物を送り届けてくれる。
確定申告の時に昨年の郵送料を計算したら、僕は年間200回、宅急便を利用していた。
2日に1回のペースだ。
僕はこれまでにどれほどたくさん、あの伝票を書いたのだろう。

1月はその日のスケジュールがロケハンや打ち合わせだけとか、簡単な撮影のみで
その後はスタジオでひなたぼっこしたりとかして、穏やかで楽しい日々が続いていた。
それが突然、バタバタしだしていちばん困惑するのは、
体力的なことよりも、感覚が着いていかないということだ。
カメラに付いているこのボタンは一体何のボタンだったろうとか、フィルムを逆さに入れてみたりとか。
それは冗談だけど。

僕はいろんなものを撮影する。
ひとりのカメラマンとしてはカバーする範囲はかなり広いと思う。
それゆえ持っているライティング光源も種類が多い。
ストロボ、HMI(自然光ストロボ)、ハロゲン、アイランプ(デイライト、タングステン)など。

ストロボは色をある程度正確に出したい時や、動きのある被写体に使うことが多い。
でもあのバシュッという発光音はあまり好きではない。
被写体の衣擦れの音や、自分の鼓動を感じるように、集中を高めていく時、
あの発光音は集中力も時間も、そのすべてをリセットさせてしまうリズムを持っている。
ただ毎ショット、気分を新たに撮りたい人には向いているのかもしれない。
でも僕には向いてないな。きっと。

HMIは自然光の差し込む空間で、地明かりとシンクロさせるときに使う。
高価なのと取り扱いのわずらわしさがあるけど、
青の発色が何とも言えず美しいと思うのは僕だけか。
いつか青い写真を撮りたいとはおもっているのだけど。

ハロゲンは発光面が小さなせいか、影がシャープ。
色補正すれば太陽光に近い影ができる。
ガラスなんかのキラメキなんかにいいな。

アイランプは地明かりと調和させる時に使う。
発光面積が大きいせいか、他の光源と良く馴染む。
柔らかな感じが好き。

こんなふうに被写体に応じて光源やライティングを変えることが多いので、
長い休み明けには「この場ではどんな撮り方が良かったのだろう」とときに戸惑う。
これっと言った決まった撮り方がないだけに、現場の光を見て、毎度考える。
休み明けにはその考えが少し鈍る気がする。


もうすぐ春分の日だから、いちばん日の長い頃と短い頃のちょうど中間になる。
スタジオの床に落ちる光もだんだん窓側に近づいている。
太陽の位置が高くなって来ているのだ。
もう本格的な春は近い。

でも春がやって来ようが請求書は待ってくれない。
どっさりと領収証など請求すべき経費の山がかたわらに。
皆に「もういい加減請求書を送ってくださいっ」と言われてからかなり経つのに、
もう何も言って来ないのが少し恐い(笑
ギャラなしか(泣

とりあえず先週の仕事はすべて終了したものの、
また明日からみっちりと一週間、泣きながら働きます。
そんなわけでまた少しのあいだ、書けないかも・・・。
ごめんなさいです・・・。





 

096  「four beats」 3月9日


全然、書けなくてごめんなさい。
でもまだ当分、書けそうにないのだけど。
次回書けるのは早くて日曜か、ひょっとするとさらに次の日曜くらいかも・・・。
とりあえず4人展のイントロダクションをアップします。
次回、写真展の内容などに触れられれば、と思っています。
ああ、そろそろハードディスクに落としているデータ処理が終わりそう・・。
フォトショップに帰ります。とほほ。



four  beats

4人展ではあるけれど「僕」と書くことにする。
初めは「僕たち」と書き進めたが、言葉の立ち位置が定まらない分、どうも説得力がない。
それに結局はこの3人と時間を過ごし、その中で僕が感じたことを書くしかないのだから。
そんなわけで少しだけ僕の話を聞いて欲しい。

僕が3人と初めて話らしい話をし合ったのは、今から4年前の2000年、冬。
とある出版社主催の忘年会を抜け出した僕たちが、偶然、エレベーターの前で出逢った時から話は始まる。
まだ他人行儀さのあった間柄の僕たちだったが、まるで思い出を共有している友人同士のように、
多くの話ができたのは不思議でちょっとした驚きだった。
それはカメラマンとして、ひとりの表現者として、それぞれの思想がありながらも、
「写真イコール仕事」とは割り切れない想いが、皆の胸中にあったからだと思う。
そして僕たちはその時に4人による写真展を企画する。
その話を煮詰めるために,ひと月後に集まろうと約束してその日は別れた。
でも、ひと月経っても誰も何も言って来ない。
しょうがないので僕が連絡し、再び落ち合い、また次の約束をして別れる。
でもまた誰も何も言って来ない。つくづくマイペースで個人主義な連中だと飽きれた(笑
ホント、僕の電話がなかったらギャラリーは存在しなかったと言ってもいいくらいだ。

僕たちは決して仲良し同士なわけでもなく、かと言って友達という言葉は、なぜだかしっくりとこない。
写真も生き方も全く違う僕たちが一緒にいれたのは、お互いを尊敬することができたからだし、
共感できるかどうかは別にして、でも表現に対する熱さはそれぞれが十分に感じることができたからだと思う。
もう行くまいと思ったことも度々あったが、それでもまた会いたいという気持ちになれたのは、
ひとりでいるよりも、このメンバーで時間を共有する魅力の方が勝っていたからだろう。
4人で写真展をしようと語り合ったあの冬以降、
それぞれ個展はあったものの、4人で何かをやったことは結局、一度もなかった。
その4年越しの写真展が最後になって叶う。
これが僕たちにふさわしい終わり方だという気がしないでもない。
なぜなら僕たちは4人展をすることなど興味を持っていなかったのだ。
この4年間、それぞれの個人的な思考とベクトルに僕らは夢中だった。
同じ思考の者同士だったらそれほど魅力は感じられないが,
全く違う種の熱さを感じられたからこそ、僕たちは惹かれあった。
そんな意味において、本来、最初に行われるべきこの写真展がいちばん最後になったのは、
僕たちにとってふさわしいこととも思える。

僕たちはこれまで自分の中に蓄積したものを、どのようなかたちで表現すべきかを考える時期に入ってる。
若い人たちのように未来のために、何でも吸収するという時間はもう終わったのだ。
自分が本当に表現したいことは何かを見定めて、それにすべてのエネルギーを注ぎ込む時が来ているし、
「大変だったけど写真をやって来て良かった」と思いながら、一生を終えられるかどうかはこの先の時間にかかってる気がする。
それでもいつかまた4人展ができればと思う。
基本的に協調性がないのでいつのことやらと思うのだけど(笑
でもいつまでも意識させられたいし、ずっと惹かれる関係であれば嬉しい。
サンキュー、フォーエバー。
            
                                       2005年3月3日  川田昌宏

 

 

095 「作品制作」 3月2日


終わらない・・(最近いつもこんな調子だ)
誰かが僕を陥れようとしているのか。
やってもやっても仕事が溢れてくる。
新規でお金がもらえる仕事ならともかく、ほとんどタダ働きみたいなものばかり。
まあそれでも喜んでもらえるのが唯一の救いか。
とほほ。

今週末からビーツギャラリーでの写真展が始まる。
展示用写真の加工も何とか終え、ちょっとひと一息。
出展者は岡島慎一郎氏、北川達也氏、東泰秀氏、そして僕の4人。
このメンバーに対してはいろんな想いがある。
写真展のとき、ギャラリーに貼るためのイントロダクションのようなものを書いたので、
近いうちにこのダイヤリーでアップできればと思っています。


もう3月になりましたね。
2月は終わるのが早いです。
そのせいでスタジオと家と駐車場の賃料を払うのをすっかり忘れていたのだ。
まあ何はともあれ春は近いし、暖かい日が増えてくると思う。
もうひと月もすれば、前の公園の桜が咲き乱れる。
このあいだ、新年を迎えたばかりのような気がするのだけど、やっぱ早いです。
桜の季節にはいろんな思い出があります。
別に桜が好きなわけではないのだけど、記憶にリンクしているケースが多い。
新年とは言え、まだ寒い3月くらいまでは本格的に活動をしている気分にならない。
どちらかと言うと前年の余韻のまま、過ごしているような気さえするのだ。
やはり桜が散った頃から、その一年はスタートするというのが僕の気分かもしれない。

3月の半ば頃から公園を通るたび、桜のつぼみを観察している。
少しずつ大きくなっていく様子がよく分かるのだ。
開花して、そして散り、風に飛ばされてゆく。
あるものはホウキで掃かれ、あるものは車に踏まれ、あるものは土に還る。
その過程を毎日見ている。
あっという間に散るから、美しく尊い。
花の生涯というのは、どこか人間のそれと似ている。
おそらく僕も含めて今の一瞬がどれほど貴重な時間だなんてわからない。
それがわかるのはずっと年配の人達だけだろう。

ずっと未来。
自分の生き方を振り返ったとき、僕はどう思うのだろう。
どんな馬鹿げたことだっていいのだけど、その貴重な時間を無駄に使わなかっただろうか。
何かの勉強をしたっていいし、たとえば雲の形に夢中になれるのならそれでもいいと思う。
何に価値を置き、何が楽しいかと感じるのは人それぞれなのだから。
それがどんなことであれ 一生懸命に何かをした、ということだけは言えればいいと思う。


top