158 「理由と説明」 9月30日

先日、杉本博司氏の写真展がヒルズの森ビルであったので、行ってきました。
NY在住の杉本氏の写真は世界中のコレクターが収集している作品でもあり、
写真には珍しく絵画ほどの値段で取引されています。

世界を巡る今回の写真展を僕はとても楽しみにしておりました。
8×10(A4サイズのフィルム)というサイズのモノクロフィルムを使うその手法は
写真のひとつの美である際限ない階調を作り出すという点において、
とても効果的であり、かつ今のところそれ以上の表現方法は見つかっていない、と僕は考えています。
これまで氏の写真は印刷物でしか見たことがなく、それでも十分な階調が出ていましたから、
当然のことながらオリジナルは大きいし、さぞかし凄まじいほどのクオリティなんだろうと思い、
始まるのをわくわくしながら、待っておりました。

写真展の始まったこの間の連休、森美術館に行ったものの、
長蛇の列でいったいどれほどの時間、並ばなきゃいけないんだろう、という感じ。
入れてもゆっくりと見れなさそうだったので、平日の朝に出直しました。
別の日の朝、10時の開館と同時に一番でギャラリー入りし、巨大な展示場を回る。
最高の展望台もあるし、美術館自身はとても魅力的なものでした。

作品に関して言えば、最近は印刷が良くなったんだなぁ、という感想です。
昔は本でしか見たことがなかった作品を美術館で目の当たりにした時、
印刷では黒がつぶれたり、白が飛んでしまっている階調が
オリジナルではしっかりと残っていることに驚いたものです。
もちろん豊かな階調があるから優れた写真、というわけではぜんぜんないのですが、
それらは実物を見ているような、リアリティを見るものに感じさせるのだから、
感受性を刺激するひとつのポイントであるということは間違いなさそうです。

そういった意味において杉本氏の作品は印刷物でもよほど階調にこだわっていたと見え、
オリジナルを見た時の驚きはどれほど大きなものではありませんでした。
多くの写真が氏の思考を反映した、どちらかと言うとコンセプチャルなもので、
なぜこの写真を撮ったのか、ということをまず理解した方が分かり易いタイプの写真でした。

唯一、違ったのが動物のジオラマを撮影したもので、これは結構、感動しました。
なんだかんだと理由付けをしていますが、そんなことなどどうでもいいくらい釘付けになりました。
完璧なまでに精密に作り上げられた模型を、タイミングも光もすべてがパーフェクトなコンディション、
かつそれを8×10で見たこともないようなトーンで写している。
決定的瞬間を限りない美しさで捉えているのです。
なぜならジオラマですから。
でも写真は2次元の世界だから、本物の光景に見える。
このシリーズは面白かったです。

仕事において写真を撮る時は理由が必要です。
なぜなら誰かに説明し、説得する必要があるからです。
どうしてこの場所から、あそこを背景にし、この被写体を、こんな光で、そして絞りはいくつなのか。
たいていの場合、すべてに理由が必要です。
自分の詰めが中途半端で甘いと相手を説得できないことがよくあります。
このような理詰めな撮り方は広告の世界ではよくあることですが、
いろんな意見を出し合って進めていくこの手のやり方は、確かにいいものに仕上がっていくことが多いです。
ただカメラマンには動物のような直感も大切ですし、
そして理由付けの日々から離れたいという想いもあります。

ジオラマはそういう点において理由が必要ではありませんでした。
それなりの理由は書いてありましたが、そんなものがなくても見るものを圧倒する強さがありました。
理由を必要としない写真。
というか、理由は気持ちを探ればあるはずだから、動機がないというのはおかしいですね。
理由を説明しなくていい写真でしょうか。
そんなものが何だか少し撮りたくなってきました。






157 「渋谷のファミレス」 9月24日

噂のヨドバシ、秋葉原店に行ってきました。
人が多いだろうと思って平日の午前中に行ったのですが、大阪ヨドバシの土曜日くらいの人手でした。
規模は大阪のものとそれほど変わらないのですが、駐車場が地下なので上の建物のすべてに店舗が入っています。
そんなわけで店舗のフロア面積としては、かなり大きいのだろうと思います。
ただ不思議と商品が見易かったのは、新しい店舗なので最終進化型ということなのでしょうか。
でも建物がたくさんある新宿本店と比べると単一店舗は移動が楽ですね。
見たこともない商品があったりして、結局、昼ご飯を挟んで4時間ほどいたような気がします。

そこで入った喫茶店の店員の振る舞いに感じたことがありました。
別に愛想が悪いわけでもないし、仕事が雑なわけでもない。
ただ意思の疎通の回路を遮断しているような表情で、接客している感じ。
僕がつまらないジョークを言っても「・・では、失礼します・・・」と
ニコリともされず、僕は自分のジョークセンスを疑わざるを得なかっただろう。

僕が思うところ、二種類の街があります。
ひとつは小型の回遊魚のごとく人が循環し、その土地に留まる街。
簡単に言えばお互いがコミュニケーションを持ち、かつそれを深めていけるところ。
もうひとつは人が流れる街。
人は留まらない。
人との繋がりではなく、物理的な何かを求めるときに訪れる種の街。

街の表情は訪れる人々を写す鏡だと思います。
そこで暮らし働く人の対応で、街の性質はだいたい分かる気がします。

以前、渋谷のファミレスで愛想の悪い店員の中に、ひとり、笑顔を絶やさない女の子がいました。
接客の時はまっすぐ、その人の目を見る。
「遅っせぇんだよ」と同世代の女の子に言われても、一生懸命に頑張るその姿はケナゲで、
見ていて胸が熱くなりました。
きっととてもいい子で、家庭でもそういう教育をずっと受けて来たんだろうなぁ、ということは推測できました。
でも渋谷で頑張る彼女の行為は、大海原に小石を投げるようなささやかさであり、
または黒マグロの大群に突っ込む、一匹のカタクチイワシのごとく、消耗するし、場合によっては危険です。
それでも自分はそうあろう、という行為にちょっぴり感動しました。

お互いに頑張ろう。
でも渋谷のファミレスなんて、やめちゃっていいよ。
きっとあなたに適した場所があるだろうから。
チャオ。






156 「多摩川で夕陽」 9月19日

車で10分ほど走ってDさんを目黒の自宅まで迎えにいきました。
Dさんは一回りほど年齢が上のコピーライターの方で、以前何度か仕事でお世話になり、
電話などではよくお話していただいているが、会うのは2年ぶりくらいだろうと思う。
ゆっくりと中華料理を食べ、その後、駒沢公園をいろんな話をしながら歩く。
大きな公園だけど人の活気があって、すべてのものが生気に満ちている感じがしました。
ただそれは駒沢公園に限った話ではなく、上京した僕がたびたび感じる種類のものです。
それは一体なんなんだろうと考えていますが、今のところ、これと言った答えは見つかっていません。

自宅に帰り、電車で二子玉川へ。
祭りのような賑わいで、当然のことながら入れるような喫茶店はなく、
まあ、開拓してみるのもいいかと思い、寂れた場末のような裏路地へ。
ぐるっと歩いてみたところ、そのようなお店はなく、半ば諦めかけていたときに
アルミの扉のお店のようなものを見つけました。
A4用紙3枚に喫・茶・店と大きな字で書いてあるくらいだから、まあ、喫茶店なのだろうと思い、
でも中を覗くとまんざら悪くはなさそう。
軽く3、40席ほどはありそうだけど、客の姿はなく、店内に入るとアイスコーヒーを注文しました。
椅子から見る外の風景はとてものどかで、ここは伊勢の鵜方駅前だよ、と言われたら、
そう信じてしまうような田舎な錯覚があるけど、れっきとした世田谷なのです。

少し心配したが、アイスコーヒーはまんざらでもありませんでした。
僕はレジスターの前に立つと、ぴょんぴょんシューズを発明したドクター中松にとても似た店主に
支払いを済ませ、多摩川の河川敷にはどうやっていったら良いか、尋ねました。
「前の道を左に行くと良いよ。適当なところを左に入れば河川敷に当たるから」と中松はにこやかに言う。
「そうですか」
「歩くの?でもけっこう距離はあるよ。2kmぐらいあるんじゃないかなぁ」
どう考えてもそんなにはなさそうだったけど、面倒くさいので「大丈夫です」と言いました。
10分ほど歩いて着いた多摩川は、西に向けて大きく空が広がり、雲の輪郭が輝かせています。
のんびり感はあるんだけど、ちょっと人が多い。
カップルが等間隔で並んでいて京都のカモ川に似てなくもないし。

人のいない穏やかな風景は意外とないもんだなぁ、と思います。
ほんとに人が多くて賑やかな街です。





155 「男の友人たち」 9月16日

先日、銀座で撮影を終えた後、日本橋で働く友人に電話をしました。
古くからの友人である彼は一年ほど前、偶然、僕のHPを探し当ててメールをくれました。
それも仕事中に。
つまりサボって書いたということでしょうか。
幸運なことに連絡がとれて、喫茶店に行きました。
7,8年ぶりのことだと思いますが、ブランクがあったのにもかかわらず、
お互い変わったところもないし、楽しかったですね。

昨日はAズマさんと湘南のNジョーを訪ねた。
辻堂海岸に降り立って、3人で江ノ島を眺める。
誰かの目から見れば、背に高いホモたちが写真を撮ったり、海辺で遊んでいるように見えたでしょうね。
僕の周りはいつも女っ気がないのはなぜだろう(笑
いつも男友達に囲まれている気がします。

メシに行ったり、Nジョーの家にお邪魔したりして、ずっと話し続けました。
写真の話に関しては、尽きることがないので面白いです。

そんな友達たちと東京で出会えるのは、ちょっと不思議な感覚です。
いつものように友達がいるのに、一歩外に出れば知らない街が広がっている。
錯覚というか、感覚的なギャップというか、そんなものはまだあります。
少し前はちょっと外出するだけでも、軽い緊張がありましたが、
最近はそんな感じも希薄になってきました。

慣れてきたんでしょうね。
それにとても涼しくなってきたし。
いい感じです。


 

154 「折り返し」 9月14日

もし人生に水泳競技のような折り返し地点があれば、僕は間違いなくその付近をうろうろしていることでしょう。
折り返したのか、それとも間もなく折り返そうとしているのか。
その辺りは曖昧としているものの、まあ何か新しいことがたくさんできるほど時間は残されていない、ということです。
まだひとつやふたつくらいなら、何か始められるかもしれませんが・・・。

関西でのキャリアを生かして、そのままスライド方式に東京で活躍できれば、言うことはありません。
収入も減らず、与えられる仕事の質も変わらないのが、理想ですが、フリーの場合はかなり難しいですね。
そんなことが簡単にできれば、誰だって東京に来るだろうし・・・。
まったくのフリダシに戻ることはないけれど、時間で言うと3年から5年ほど逆戻りした感じがします。
まあそんなことは始めから分かっていたことですから、だからどうだって言うわけではないのですが、
感覚的に捉えていたことが、実際数字に置き換えられそうだったので、まあ、そんなもんかなと。

だったら早いうちに上京した方が得かも、とお思いになるかもしれませんが、というわけでもなさそうです。
若くてもキャリアがなければある到達地点までは多くの時間が必要だし、
逆に年をとっていてもキャリアがあれば、そこまでの道程はそれほど遠いものではなさそう。
結局、そこにたどり着くまでの時間はそれほど変わらないということだと思います。
ただそのスキルを身につける場所が東京なのか、関西なのか、では大きく変わります。
緊張感の中でブラッシュアップされていく環境と、のびのびとした大らかな環境。
どちらがいい、というのは人によって違いますし、今さら、こんなこと言ってもしょうがないから、
東京に行きたいと思ったときに、行ける環境だったら来る、というのが理想的かもしれません。

とりあえず走れるうちに走ろうと思ったのが3年前。
それなりに長い僕の人生の中で、5年だけでいいから真剣に走ろうと思いました。
流れのままに身を任せ、比較的、意思が弱い僕ではありますが、それだけは唯一実行できた気がします。
そしてあと2年。
もう3年も経ったのか、という気持ちとあと2年どころか、まだまだ走れるぜと、いう感触。
なんだかもうこのリズムに慣れてしまって、大変だと思わなくなりました。
たまにうんざりして、へこたれることもあるとは思いますが、
でもまだまだ当分、頑張れそうです。

ばいなら。






153 「おれと渋谷」 9月12日

またまた間があいてしまいました。
9月も半ばにかかろうかというのに、まだ2回目です。
すいません・・・。
長らく続いたどたばた撮影も先週、やっと一段落しました。
今週も撮影は入っていますが、時間的な余裕があるので、まあ、何とかなりそうな感じです。

今日は用があって、朝の8時半頃から渋谷に行きました。
人が多くて、慢性的に渋滞する。
でもどこに行くにもそこを迂回できなくて、僕にとって悪代官のいる関所のようなところです。
そこを通過すると考えただけで、ちょっとナーバスになります。
そして僕は渋谷の渋滞にまみれながら、いつも渋谷を否定するコピーを考える。
簡単にいうとちょっとした悪口を言って、すっきりしたいということなのです。
「冷静になって考えてみれば、渋谷は悲しいやつだ」とか。
小説のフレーズみたいでかっこはいいが、意味がさっぱり分からないし・・・。
「アバンギャルドの憂鬱」とか。
なんか20年くらい前の日系ファッション業界のコピーみたいだし・・・。
いっそ「渋谷だって抱かれてみたい!」とか。
それって、お尻だって洗って欲しい、のパクリじゃないの・・・。
まあ、そんな感じで毎日毎日、渋谷否定のコピーを考えているわけであります。

でも今朝、渋谷は驚くほど気持ちがよかった。
もちろん人が少ないということもありましたが、天気も良かったし、少しひんやりとした空気は心地良いものでした。
何だか違う都市を歩いているような、例えば北よりの街、札幌とか、仙台(行ったことないけど・・)とか、
そんなよく知らない街にいるような気分になりました。
渋谷もまんざらではない。
あれだけ不平不満を言って、申し訳なかったっす。
でもまた渋滞時には「渋谷ってぇやつは・・」って言ってるのでしょうけど・・・。

午後以降は時間があったので、下北沢を散歩したり、新宿に行って機材を見たり、
疲れ果てたので三茶に帰っていつもの喫茶店に行ったり、何をしたわけでもないですが、楽しい一日でした。
過ごしやすい季節になるのは嬉しいですね。
毎日、Tシャツばかりじゃなく、おしゃれのできる季節がやってくるのが待ち遠しいです。
どんなに自己主張しても受け入れてくれる懐がここにはあります。
志茂田景樹を見たら分かるように・・・。
あんな、感じの人、実はたくさんいます・・・。
ではまた。


152  「土地と嗜好」 9月4日

しばらく書いておりませんでした。
すいません。
ちょっとあまりにもばたばたとして、書こうと思う気力がなかったのです。
文章を書くのが決して遅いわけではないと思うのですが、
気持ちの部分を言葉に置き換える作業は、結構な体力が必要です。
短い文章であっても、しっくりと来ないものは何度でも書き直します。
書いては消し、消しては書く、みたいな作業を何時間もやっている時があります。
かなりの労働ですね(笑

それでもなぜ僕は日記を書こうと思うのか。
それはこんな日記でも、たくさんの人が読んでくれて、そして応援してくれていることがあります。
これまでにお世話になった人たちに、僕が何を考えて、何に悩み、そしてどのように切り開いていこうとしているのか。
僕の近況を身近に、会話を交わしたように感じてもらえたら、という想いがあります。
そして同時に「書く」ことで、ぼんやりとした自分の気持ちをきちんと言葉にし、
思考を明確にさせることができるのではないかと考えています。
「自分は何なのだろう」なんて哲学ぶる必要はまったくないのだけれど、
でも結局、その人の価値観や美意識なんて独自のものだし、
それを構築するベースとなっているのは、やはり思考なのだと思ったりしています。

別にこんな話、する予定ではなかったのに・・・。
まあ、いいか・・・・。

そんなわけで今日は吉祥寺で撮影後(ほんと吉祥寺、多いな)青山で打ち合わせ。
信号待ちで停車中、代々木公園の空に夕陽があった。
東京に来て初めて見た夕陽で、何だか少し悲しいような、懐かしい気持ちになりました。
東京で夕陽を見る機会は少ない。
おそらく高い建物が多いし、西に向かって広がる風景もあまりないからだと思う。
そういった意味では西の海に夕陽が沈む大阪の環境は、とても貴重なものだったとあらためて思います。

僕は夕陽がとても大好きで、『あなたは夕陽がどれだけ好きですかテスト』のようなものがあれば、
間違いなく80点後半、いやヘタをすると90点はいくかもしれない、っていうくらい、ゆーひラブです。
その僕がこんなに夕陽を見ないなんて、自分でも少々驚いています。
関東は東に向かって空が広がっているから、やっぱ朝日なのだろうけど、でもそんな時間、起きてないし・・・。

最近感じていることは「土地によって嗜好は変わる」ということですね。
例えば夕陽を見なくなったのは、僕がリアリストになったわけではなく、
単に東京からは魅力的な夕陽が見られない、ということなのだろうと思う。
土地にはすべての事柄に、なぜそうなったのか、という理由があり、
ソバが安くてうまかったから、ソバ通になれたとか、
歩くのなんて大嫌いと思っていたのに、気持ちのいい小径があったので散歩が習慣になったとか、
渋滞がひどくて電車に乗ることや、撮影の待ち時間が長いとかで、本ばっか読んでるとか(実際2日に1冊読んでる)、
環境によって生活は変わってしまうものなのだなあ、と思っています。

仕事は毎日行っています。
くる日もくる日も家具を作っていた頃が、嘘のようです(笑
でもなんだかいろんなネットワークが少しずつ繋がり始めた感触があります。
このまま一気に軌道に乗るのか、どうかは定かではありませんが、
とりあえず今は文句を言わず、ベストを尽くすのみです。
いいものをカタチにして相手に見せるのが、いちばん説得力がありますよね。

という上記の日記を実は8月後半に書いたのですが、手直ししてアップする時間がなく、
もう一週間が経ってしまいました。
お盆休みが終わってからは、ほとんど休みがないような状態で、特に先週、一週間はホント久しぶりにヘコタレそうでした。
撮影のヤマ場を超えたこともあり、今はホッとしています。

昼間はまだまだ暑いとはいえ、明らかに夏のピークは過ぎました。
これからやっと心地良い季節が訪れるんでしょうね。
でも同時に今年も終わりに近づいて来てるんだなぁ、という気持ちになりました。
梅雨空の下、大量の荷物を車に積み込んで大阪を発ち、
不安を抱えて東京インターに着いた時の気持ちは、ちょっと忘れることができない。
車中には何台ものカメラやストロボ、助手席にはパワーマックをシートベルトで固定している。
これからこの機材たちと一緒に、僕はこの街でやっていくんだ、という期待と不安が交錯する。
初めて一人でアメリカに行った時の気持ちとよく似ていました。

僕はこの先も、初めて車で上京した時の気持ちは忘れないだろうと思います。
演歌や歌謡曲の話かと思っていましたが、
土地を離れるということは、そういうことなのだと思いました。

バハハーイ

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