256 「写真家とキラメキ」 11月29日

今、写真の現像中です。
相変わらず撮影、そして現像を毎日、繰り返してる感じです。

昨日は富士山に行ってきました。
本当は雄大な富士の風景を撮らなければならなかったのですが、
雨です・・・。
テーマ変更。
シックな大人の旅になりました・・・突然。
これがロケの醍醐味です・・・。

前回、登場の彼が車を出してくれたので、僕は助手席で楽をさせてもらいました。
送り迎えもしてくれて、さいこーです。
きっと撮ることに集中してもらいたい、という配慮からなのだと思います。

早朝から夜まで、ずっと話をしていましたが、
さすがにいろんなことに造詣が深く、面白いドライブでした。

なるほどと思うことがたくさんあって、
そのすべてを書くのは難しいですが、でも話をひとつ。

彼は僕たちのことを写真家、と呼びます。
もともと太陽の編集者ですから、その雑誌の撮影に関わってきた人たちは
著名な写真家がほとんどです。
僕のような無名の人間はかなり例外と言っていいかもしれません。

それゆえ彼は僕達のことを写真家と呼ぶのかもしれませんが、
その言葉の裏には写真家と呼べるだけのものを見せて欲しい、という想いもあるような気がしています。

「僕が現場で気がつかなかった、写真家の視線を見てみたい」と彼は言います。
とても正論ですし、いつだってそう思っているつもりですが、
それが自分以外の、しかもカメラマンではなく、写真を扱う立場の人が口にすると新鮮です。
ああ、そんな風に考えてくれている人がいるんだ、と嬉しくなります。

優れたカメラマンの感受性とは本来、子供のそれのようにナイーブなはずです。
誰も気がつかない、小さなキラメキをそっと両手で救い上げるような、
感覚的にはそんな作業なのだろう、と僕は推測しています。

ただ大事なことは、そのささやかなキラメキを理解してくれる人がいること、
そしてそれを発表する場があること、ということなのかもしれません。
その小さなキラメキの価値に、周りの人が気がついてくれなかったら、
いつかそんな感受性は消え失せてしまうのかもしれません。

でもどこかに良き理解者はいるのだと思います。
頑張っていきましょう。



 

255 「友人、そして渋谷」 11月25日

この週末は久しぶりにゆっくりとできそうです。
天気もいいですし、街に出たくなる気分ですね。

昨日、久しぶりに友人と会いました。
彼はもともと雑誌「太陽」の編集者で、
休刊後はフリーで音楽などを中心にした編集をしています。

彼がメーカーのPR紙の仕事を紹介してくれて、
その打ち合わせのためにADとともに会ったのでした。

その後、二人で一時間ばかり話していたのですが、
共通する知人も多く、とても楽しかったです。
彼はとても気さくで、かつ本音できちんと話してくれるので、
僕にはとてもありがたいです。

関西人には理解しがたい、この業界の謎、というか
癖というか、傾向のようなものを話してくれました。

彼が在籍していた平凡社という会社の人々
は、
僕が感じたかぎり、話をごまかしたり、適当にその場をつくろったりせず、
きちんと本音で話してくれる方がほとんどでした。
僕にはとても貴重な人たちです。

これは社風なのでしょうか。
だとしたら素敵ですね。

(一旦、ここで日記を放り出して渋谷へ)

今日は土曜日のせいか、渋谷はすごい人でした。
というか、いつも多いですね。
本当は銀座に行く予定だったのですが、面倒になって渋谷へ。
渋谷は家から10分ほどで行けるのですよ・・・。

ダウンのアウターを買いに行ったのですが、人込みを避けて
明治通りと平行してブティックが立ち並ぶエリアへ。
そこに入るのは初めてだったのですが、また知らない街が広がっています。
渋谷はでかいです・・・。

青山も六本木も新宿も池袋も銀座も、やはり人で溢れているのでしょうね。
いやー、 東京はでかいです。
といつまでたっても、田舎者のような驚きがなくならない、僕なのでした・・・。

モノがあり過ぎて、逆に選べません。
三茶で買お・・・・。

ではまた。





254 「思いついたことと夢」 11月18日


連日、続いた撮影も小休止ですが、朝からその加工をしています・・。

夕方になって、初台にあるデザイン事務所にブックを持参でお伺いしました。
一度、仕事をご一緒したある方が、紹介して下さって、突然に仕事が発生したのですが、電鉄系のPR紙の仕事です。

自分が動いたのではなく、僕の仕事を知らないところで写真を見てもらった上で、
このようなオファーが舞い込むのは、とても嬉しことですし、
これまでになかった仕事の繋がり方かもしれません。

少しずつですが、ネットワークが広がってきているのでしょうか。
この街に潜在している仕事量は、途方もなさそう、と最近、気が付きつつあります。
でもいくら仕事があったところで、それが自分と繋がるかどうかは、別問題です。
声高に叫んだところで、見つけてもらえないことには、なんとも、という感じです。

まだ上京して間もないわけですし、知り合いが少ないというのはウィークポイントではありますが、
ものすごい速さで仕事が変わっていく、という面白さも同時にあります。
ちょうどその過渡期なわけですから、周りで見ているかぎりは面白いかもしれませんが、
本人からしますと大変なんですよ、ほんと。

でも将来、今を振り返ったら、あんときは楽しかったなぁ、と思うのでしょうね。
間違いなく。


(こらえ切れなくて、ここで眠りに入ります・・・そして翌朝)

相変わらず加工中です・・・。

昨夜は夢を見ました。
僕は100m走の順位を判定する係をやっています。
ゴールに入ってきた上位三人を捕まえて、順番を告げます。

次の出走者はウルトラマン兄弟です。
もちろん6人ともウルトラマンです。
スタートの号砲とともに、一斉に飛び出す。
速いです。
身体能力の高さはさすがです。
問題なのは皆がとても似ているということです。

ものすごい速さでゴールラインに飛び込みます。
トップ3は初代ウルトラマン、ウルトラマン ゾフィ、そして帰ってきたウルトラマン。
僕は駆けていって、それぞれの背中を叩きながら、1番、2番、3番と順番を告げます。
そうすると一人のウルトラマンが叫びます。
「1番は俺だろう、シュワッ!」
「シュワ言ってんじゃないよ、俺の足が先だよ!」

僕は彼らに詰め寄られて、このやろう、ポカスカと頭を叩かれてしまいます。
そんな悲しくつらい夢でした。
だってみんな似過ぎなんだもん・・・。


話は変わりますが、着る服に困りませんか(唐突ですね・・・)。
外は寒くても、室内に入ると暑いところが多くて、困ります。

昔、真冬の寒い日にレストランのピザ釜を撮れ、と言われて滝のような汗をかいたことがあります。
カメラマンは労働者ですからね。
本当はスポーツ選手のような、服装が最も適しているのかもしれません。

タートルネックは本当に着なくなりました。
結構、好きだったのですけれど。
あの服は体が火照ると、放熱できないのですよね。
本当に寒いときは優れものですが、もう何年も着た記憶がありません。

最近の服はマタカミ浅くて、なおかつ上着の丈も短いです。
つまりおなかと背中が出やすいのですよね。
格好はいいのですけど、寒いです。

屈み込むと30センチくらい背中が出ます。
下着にも気を配らなくてはいけません。
あーもー大変です・・。

寒い日、キンキンに冷えたベルトの金属バックルに、
最近、とれなくなったお腹の脂肪が触れた時には、背筋に衝撃が走ります。
ワオッ!とマイケルジャクソンばりに、奇声を上げてしまうほどです・・・。


またまた話は変わりますが、ヤフー地図で場所を調べた時、
ついでに航空写真をクリックするのが僕の中で流行っています。
鳥の目を手に入れたようで、結構、面白いのですよね。

ビーツギャラリーを発見したときは、笑いました。
ビルの屋上に銀色に塗ったトタン屋根が見えたのですよね。
誰かの手によって塗られたあの屋根が、500キロも離れた場所から確認できるのは不思議な気分です。

ここで青春の数年間を過ごしたのですよね。
いろんな人の思いがいっぱい詰まった場所でもあります。

地図は絵であり、情報ですから、感慨に浸るものではありません。
でも同じような絵柄でも写真は違いますね。
航空写真であれ、リアリティーがありますから、そこから広がるものがあります。

この道をよく歩いたとか、この辺りのそば屋で毎日食べたとか、
そんなものを発見したくなる喜びがあります。
写真の中の情報って面白い、とあらためて思いました。

ながくなりました。
では。






253  「富士山」 11月14日

東京周辺をウロウロしていると、よく富士山を見かけます。
稜線の下まで見ようと思うと、神奈川を超えなければいけませんが、
山頂部だけでしたら、三軒茶屋からでも見ることができます。

先日、キャロットタワーから双眼鏡で見ていたのですが、
風の強い日で舞い上がる雪が、逆光できれいでした。

東名を走っていると真正面に富士山の全景が見られる場所があって、
ちょっと感動します。
あんたは間違いなく日本一だ、と何の根拠も、比較もなく、
うむうむ、と老人ばりにうなずいてしまいます。

ロケの移動中にちらりと富士が見えました。
90ミリをつけてシュート。

大山行男のすごさがあらためて分かりました。
こんな終わり方でいいのか・・・。







252 「東北。横浜。世田谷線とノスタルジア」 11月11日

長らく書いていませんでした。
すいません・・・。

先程、福島ロケから帰ってきました。
東北新幹線にもう何度乗ったことでしょう・・・。
日本は広いです。

東北地方はずっと行きたい場所でして、なんとか目的は達成できた感じです。
でも同じポイントでの撮影でしたので、残念ながら「東北感」を味わうことはできませんでした。
会津若松も近かったですし、仙台は今、もっとも行きたい場所のひとつであります。

見たことがない風景が広がるのって、いいですよね。
明らかに日本なんだけど、記憶に照らし合わせても少し何かが違う感じ。
色なのか、形なのか、そのあたりは定かではありませんが、
西日本では見なかった風景なのです。

山あいの風景でもそれは感じられますが、都会のそれの方が顕著かもしれません。

先日、横浜での撮影が早めに終わったので、
桜木町を抜けて、海岸通りを西に走りました。
山下公園前の駐車場に車を入れて、しばらく散歩しました。

ちょうど天気のいい日が続いた週で、
日暮れに近い斜光が、横浜の景色を照らします。
目が痛いほど青い空には、雲ひとつありません。
ちょっと外国のようでした。

そこだけ見れば、北カリフォルニアの港町に似ているかもしれません。
シアトルあたりでしょうか。
人の数も寂しくない程度に少なく、渋滞もなくて、
でも生活に必要なものはすべて揃っているし、
とても過ごしやすい街なのでしょうね。

東京のように何かに突出した感じはないですが、
居心地の良いゆるさがあります。
ちょっと横浜が好きになりました。


少し前、急ぎの撮影があったのですが、加工が間に合わなかったので、
夜遅くにADのYさんに自宅まで取りに来てもらいました。
Yさんは世田谷線に乗るということでしたので、西太子堂の駅までお送りました。

世田谷線は以前、写真をお見せしましたが、路面電車に毛が生えたようなものです。
もちろん信号も止まります。
遅いので気持ちに余裕のない人は乗れません・・・。

西太子堂駅は自宅から3分くらいでしょうか。
三軒茶屋が5,6分なので、いちばん近い駅かもしれません。
住宅街の中にあって、車は入ってこれません。
案内の看板もないですし、普通の人が見つけるのは不可能です(どんな駅だ・・)

暗やみの中にぽつりとあるのですね。
でもれっきとした黒字路線なのですから、東京の人口、おそるべしです。

そう言えば大阪にも路面電車はあります。
阪堺線なんかはすごいですよね。
丸い目の玉のような小さいライトがついた、鉄の車両でした。
床は木でできていたような記憶があります。

夜、住宅街の裏手を抜けていく光景は、ちょっと忘れられません。
夢みたいなのですよね。
違う世界に連れていってくれそうな、電車でした。
パラレルワールドとでもいうのでしょうか。
次の駅についたら、音が存在しない世界、とか
夜が明けない世界とか、そんな異次元に連れていってくれそうな雰囲気です。


やがて三軒茶屋から電車がやってきて、Yさんはそれに乗り込みました。
そして手を振り、別れました。

小さな電車、バス停みたいな駅、ささやかな遮断機、
木ででいたような酒屋にたばこ屋、そして走り去ってゆく、2両編成の遅い電車。
なんだか物語の光景のようにも感じられますし、
夢の中にいるようにも思えたりします。

決して便利ではありませんが、それでも訴えかける何かがある気がします。
記憶に潜むノスタルジアなのでしょうか。

いつか写真でお見せできればいいな、と思っています。
長くなりました。
それでは。






251 「すべてに対しての態度」 11月4日

友人が他界してから、ちょうど一年が経ちました。

昨日と同様、何事もなかったかのように空は青く晴れ渡り、
そのことが白昼夢に居るような隔たりを感じさせていたように思います。

今でも携帯電話に彼の名前が登録されています。
スクロールの最中、その名前に出会うと胸が熱くなります。
忘れる努力をした方が良いのか、それとも自然な成り行きのまま受け入れれば良いのか。
そんなことすらわからないまま、一年が経ってしまいました。

人はゆっくりと時間をかけて、傷ついた心を癒していくのだと思います。
ご家族の痛みは察することのできないほど、大きなものでしょうし、
彼の気持ちを考えると胸が締め付けられる想いです。

でもそれを解決する手段なんてありませんし、
現時点においての最良の選択さえ、わからないままでいます。

心臓が破れるまで、走り続けるなんて大したことじゃないですし、
僕たちはそんな権利があると同時に、そうある義務を持っていると思います。
それが彼に対して僕たちが胸を張れる、唯一の方法だという気がします。



今日、昔からの友人と砧公園で出会い、レストランで昼食を食べました。
彼はずっとオートバイを乗り続け、今日は1300CCもある
自動車ほどのエンジンを付けたものに乗って現れました。

僕らは時を埋めるかのように話し続け、日も暮れた頃、
彼は学生の頃のように手を振って、環八に消えてゆきました。
その光景は記憶を二十年前にフラッシュバックさせるようでしたし、
東京の片隅で落ち合うことの不思議と、いろんな感覚が混ざりあう、とても良いものでした。

大切に時を刻みたい。
僕はそんなふうに考えます。
確実に過ぎ去り、二度と戻ってこないその瞬間と精一杯、向き合いたい。

それは周りの人々に対してであり、僕の人生の態度でもあります。
もちろんそれで全てが解決するわけではないし、きっと後悔することもあるのでしょう。
ただそれが僕なりの「人や自分との関わり合い」であるという気はしています。


次回から、いつものバカな日記にもどります。
ではまた。

 

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