347 「12月の混雑」 12月22日

さすがに12月も20日を超えると渋滞がひどいですね。
まったく動かない片道3車線の国道で、みんな根気よく待っています。

関西だったら、碁盤の目のように道路は作られていますし、
抜け道で頑張れば、ひょっとして早く着けるかも知れない、というささやかな希望がまだあります。

しかしながらここは東京。
12月のこの街に、そんなものは存在しません・・・。
あるのは車で埋め尽くされた道のみ。

みんな忍耐強いなぁ、というか、諦めているのでしょうね。
ここで運転を始めたのならともかく、僕は違う土地から来たので、
この道路作りのナンセンスさには、もうトホホです・・・。

右折車が多い交差点なのに、右折レーンが短かったり(おかげで追い越し車線が詰まる)、
2車線が3車線になり、また急に2車線にと、アクロバティックな道作り(2車線が近づく度に大渋滞)、
首都高で2車線と2車線の合流が、なぜだか2車線に・・・あれれ・・・。
普通、4車線じゃないのですか・・・。

大阪の道作りが優れているとは思いませんが、
おおむね合流後は車線が倍になるようです(なっていないところは、やはり混みます)。
いちばんすごいところは、環状道路を一方通行にしてしまった、というところでしょうね。
誰が考えたのか・・・。

おかげで出口を見過ごすと、もう一度外周を回るハメになります・・・。
良く言えば、何度でも外周を回って、チャレンジできます。
ただ流れが速いですし、近道もあったりするので、比較的戻るのにも時間はかかりません。
でも首都高で言うと、渋谷から銀座に行くのに、分岐を北池袋にしか向かえない、ということでしょうね。
ぐるっと回って銀座に・・・。
遠すぎです・・・。


電車もまたすごいです。
関西だったら、走れば早くいけるかも、という車同様、ささやかな希望がありますが、
しかしながら、ここは東京・・・。
腕を振り上げるようなスペースは皆無です・・・。

人の流れるまま、だーらだらと小刻みに歩くしかありません・・・。
ここでは少しの希望も持ってはいけません。
魂を捨てて、だらだらと歩くのみです・・・。

ここで地震があったら間違いなく死ぬな・・・といつも思います。
まったく身動きが取れません。
それもまた人生・・・。
後悔しないように生きましょう。


今週はミナト横浜で撮影。
来週も続きます。

しかしながら新しいマックとモニターの巨大な箱が、玄関に鎮座・・・。
玄関ではカニ歩きです。
早くセッティングしたい、反面、仕事ができなくなっても困ります・・・。
あーどうすればいいんだー。

と書きながらも、セッティングする気マンマンなのでした。
年内、仕事が終わるまでは、2台体制でいきます。
なんだかとても仕事ができる人のようで、かっこいいです・・・。
といっても、誰か見ている訳ではないのですが・・・・。
まあ、そこは自己満足というところで・・・。

じゃあ、ちょっとやってみます。
ではまた。






346 「想像すること」 12月16日

先日、長崎のスポーツクラブで乱射事件がありました。
場所が違うとは言え、僕がよく行っているところでありますから、
まさかあんな場所で、という驚きは大きいです。

おそらく亡くなった女の子も、僕のジムと同様、
元気に大きな声で、誰にでも明るく挨拶をしていたのだと思います。
その清々しい感じをイメージできるだけに、なんとも居たたまれない気持ちになります。

僕がこの事件のことを日記に書いたのは、最近、ずっと思っていることがあるからでした。
それは、僕たちは誰かが死ぬことに鈍感になってるんじゃないか、ということです。


毎日、世界中で事件が起こります。
人災もあれば、天災もあります。
多くの場合、そこで人がなくなり、その数が世界中にニュースで流れます。
そして僕たちは死者の数で、その事件の規模を自分の経験値に照らし合わせ、消化していきます。
意識において、死者の数はたんなる事件の規模を語る、数値でしかないような気がしています。

例えば死者がたくさん出た列車事故で、無事生存していたといっても、
それは五体満足であるという意味ではありません。
取り返しのつかない傷や、重い後遺症に苦しめられる人もたくさんいます。
おそらくそれらは、生きる気力を大きく失わせるほどの出来事なのでしょう。

僕たちに、そんな痛みに対して想像力が薄れつつあるのではないのだろうか。
そんな気がしてなりません。

内戦で傷を受け、息も絶え絶えになっている人の写真が、どれほど自分の心に届くのだろう。
アフリカの栄養失調の子供の写真を見て、胸が痛くなる人はまだいるのだろうか。
確かに初めてそれを見たときはすごい衝撃でした。
何かやらなくちゃ、とまでは考えませんでしたが、大変な国がある、ということと、
日本は恵まれている、ということに胸を撫で下ろした記憶があります。

でも僕はすっかりそんなことに麻痺してしまった気がしています。
今の現状を謳う写真が心に届いてきません。
それはどこか遠い国の、知らない誰かの不幸であり、
その痛みをそこから想像することはできません。

たぶん僕はいろんなことに慣れてしまったせいで、想像力を失いつつあるのだと思います。
もちろん僕は宗教家ではないですから、世の痛みをすべて抱えるなんてことはできません。
ただものすごく個人的な範囲でもいいから、そんなことを察することができる想像力があれば、と思います。
じゃないと、あまりにも乾いた人間関係になってしまいますよね。


本当の真実というか、リアルなものすべてを誰かに伝えるということは、とても難しいことです。
でも僕たちには、その少ない何かを、その見えない部分を膨らませる想像力が必要なんだろうなぁ、と思います。
そうすればもっとみんなが生きやすくなる、と思ったりしています。

ではまた。

 









345 「さようならフレディ」 12月12日

ここ10日ほどですっかりと冷え込み、ベランダから見る木々はことごとく落葉してしまいました。
今年は温度差が少なく、紅葉がきれいではありませんでしたね

ずっと山の撮影をしておりましたが、鮮やかな赤や黄色にならず、茶色でした。
それゆえ単に枯れた山のように見えます。

落葉のメカニズムは不思議で、暗さを感じないと駄目だそうです。
都会はずっと明るいですから、それゆえ明かりに近いところだけ、
いつまでも葉が残り続けています。

ベランダから見える木もまたそうでした。
ほかの部分はとっくに落葉してしまったのに、
街灯の下の葉だけが、いつまでも残っていました。
ちょっと不思議な光景です。

それでもやはり落葉は始まります。
「おい、ほかの葉はとっくに落ちてるけど、俺ら、ええんか・・」
「ほんまやん、残ってんのここだけやん・・」
「俺まだまだいけるけど、もう落ちとこかな」
「そんなんでええんか」
「俺かてわからへんがな。でもさすがにこれはおかしいやろ・・」
「まあな」
「でも落ちんのも勇気いんで、ほんま」
「お先に」
プチッ(落葉の音)
「あっ、なんでお前が先に落ちんねん!俺がゆったんやないか、くそー」
プチン(落葉の音・・)

そんなつぶやきが聞こえてきます・・・。

そうやってほとんどが落葉してしまいましたが、
2枚の葉が3日間、残っていました。
そしてある日、気が付くととうとう1枚に。
僕はフレディと名付けました。

「元気だった頃のフレディ」
「寄るとこんな感じ」


ずっとベランダから見上げたり、加工中に窓を開けて、フレディがいるかどうか確認したり。
風の強い夜、茎をしならせながら耐えるフレディの姿には感動しました。
風が収まるとゆっくりもとの場所に戻ってくるフレディに、俺は落ちたりしないぜ、という強い意志を感じました。
誰のマネもすんな、と訴えかけているようでもあります。



たぶん僕たちの世界では、ほかの人々と同じように生きていく方が、ある意味においておそらく楽であり、
それに気がつかずに楽しく生きていけるのなら、それはまた違うベクトルにおいて幸せなことなのだろう、と思ったりします。

でも僕たちはイバラの道にこそ、ささやかなキラメキが隠されていることに気がついてしまいます。
幸福なのか、不幸なのか。
どちらにせよ、それはとても困難な道のりであることに変わりありません。

ただ僕は生きるということに全力投球できる、今の暮らしをとても気に入っています。
もう一度、初めから人生を歩み直せるとしても、きっと同じ道のりを選ぶだろうと思います。
幸福なのか不幸なのか、優れているのか劣っているのか、そのあたりはさっぱりわかりませんが、
でも全力で生きられるのは人間らしい行為であると僕は考えています。
いかがですか。


フレディな状態はその後、4日間続きました。
数千、数万枚あった最後の葉です。

5日目の朝、起きて早々、2階の窓からフレディの確認をしました。
黄色いものが見当たりません。
あわてて下に降り、ベランダから木を見上げます。
しかしながらもうフレディはいません。

落葉して積もっている葉の中からフレディを探そうかと思いましたが、
さすがに数万の葉の中から彼を見つけだすのは無理だろう、と思いました。

まったく葉のない木々の風景を見て、ああ、本当に冬が来たんだなぁ、という気分になりました。
始まりましたね。
2008年の冬が。

ではまた。












344 「羽田空港と三茶の夕日」 12月8日


羽田空港の駐車場です。
ガラガラがいいですね。
妙に落ち着きます。

どこに行っても人だらけな東京だけに、
こんな場所は貴重です。
車でバンバン走り回ってみたいです。
すぐ逮捕ですね・・・。

空港のホテルでコンサートに出発する前のミュージシャンの撮影です。
雑誌などではよくある企画ですが、東京だとこれが広告なのですよね。
きちんとしたスポンサーがいて、おそろしいほど写真チェックなんかも入ったりします。

しかしながら幸運なことにこれまでクレームなし。
撮影しながら、ここは言われそうだな・・なんて思うポイントを外しながら、
最終的なかたちをイメージして組み立てていきます。

突かれないことを祈るのみです・・・。


ああ・・意味もなく写真が大きくなってしまいました。
縦イチ写真だと忘れてリサイズしてしまったのでした・・・。

空港の到着フロアー階ですね。
いろんな空港に行きましたが、日本の国内線では羽田がいちばん大きいのでしょうか。
ターミナルも2つに分かれていて、間違えるとひどい目にあいます。

厄介なのが行きはJALだけど帰りはANAみたいなケース。
駐車場が全然違っていて、一度地下道を機材を持って運んだことがありますが、
25分かかりました・・・。
おまけに夏でバテテいたので、カフェでひと休み・・・。
どんなけ時間かかっとんねん・・・。

車でのアクセスも複雑で、よくもまあ、これだけ分かりにくく作れたものだ、と感心します。
環状型になっている外周を回りながら、首都高銀座方面、横浜方面、
環八、環七、その他もろもろに枝分かれしていきます。
僕が向かう環七なんてヒドイもので、ガードレールの上にバイクのプレート大の表記がひとつあるのみです。
それを奇跡的に発見しないと永久に外周を回るハメになります・・・。

というわけで、以前早く着いた時に外周を5周ほど回ったことがあります。
その構造を理解しないと、いつまでもハラハラ、ドキドキの羽田空港になってしまいます。
もちろん間違えて環八に行ったこともありますし、
首都高に乗ったこともあります。
それも横浜線・・・どこに行くんじゃ・・・。

でも瞬間的に「横浜ドライブ・・」と前向きに気持ちを切り替えられるあたりが、
さすがだと自分でもホレボレします・・・とほほ。

都内はまっすぐな道がほとんどありませんが、
自宅前のこの通りは珍しく西に向かって、こわいほどの直線ぶりです。
キャロットタワーの展望台からも見える唯一の直線道路で、
環七も超え、遥か彼方まで続いているようです。
先は霞んで見えません。

ほとんどがあぜ道のような世田谷の道路ですから、
ここは何か意味があって作ったとしか思えません。

話は変わりますが、大阪にある巨大なウツボ公園は戦時中、飛行場でした。
大通りをいくつもまたぎ、不思議な公園だと思っていましたが、
それを知った時にああ、なるほど、と思える形と規模でした。
だからといって家の前の道が滑走路だとは思えませんが・・・。

戦後、夕日を懐かしんだ大阪出身の建設大臣が
無理矢理、住民を立ち退かせて、道を造ってしまった・・・。
想像ながらかなりのリアリティを感じさせます。
でもそんな大臣、いたっけ・・・。

今日から「サンセット通り」と命名します。
なんか、安物くさー・・・。

しかしながら都内の住宅街の中では、珍しく美しい夕日が見られる場所であります。
ありがとう大臣・・・。

ではまた。

 

 





343  「停滞、そして見つめ直すということ」 12月4日 

12月になりましたね。
チョー早過ぎです・・・。


ここのところ、いろんな友人達に会い、多くの話をしました。
他愛のない話もたくさんありましたが、その中心にあるものは簡単に言うと、
僕たちはどのようにして生きるべきなのだろう、ということです。

若いときから晩年まで、トップスピードで駆け抜けるような人もいるかもしれませんが、稀ですよね。
多くの場合、立ち止まり、悩み、またゆっくりと歩き出す。
ずっとそんなことの繰り返しのように僕には感じられます。

生きるということは決してドラスティックなことではなく、単調なものなのでしょう。
そのシンプルさの中にある、ささやかな喜びを紡いで生きているのかもしれません。
それはとてもナチュラルなことであり、僕自身もまたそうです。


何の悩みもなく生きることが理想のように思われますが、僕はそう考えていません。
人は日々、何かをすり減らし、傷ついていきます。
そして僕たちは人の痛みを知るのだと思います。
それはつらいことですが、同時にとても素敵な感覚であると僕は考えています。

完全に満たされないからこそ僕たちは何かに恋い焦がれ、
そしてその片鱗に触れることができた時、ささやかな喜びを手に入れた気持ちになれます。
ずっとそんな小さな起伏の繰り返しなのでしょうね。

それらは生きる糧になるというほど大きなものではありませんが、
少なくとも今を前進させ、未来の幸せの期待に繋げるものではあると思います。


どうしても立ち止まざるを得ない場面があったりして、
僕の場合でいうと上京したときになるのでしょうか。
関西での暮らしにピリオドを打ち、次の章を迎える。
よく言えばどこにでも向かえるわけですが、でも現実には全くの停滞と言っていいかもしれません。

それは強烈な焦燥感を覚える時期でもありますが、いろんなことを考えるいい時間でもあります。
これまでずっとやってきたこと。
そしてこれから自分がやろうとしていること。
それをぼんやりとでも見つめ直すことはとても大切なこと、というか必要なことですよね。

自分の中にある熱のようなものを失いかけていないか。
それを確認する作業は、大事だと思います。


とは言いながらも、自分を生かしてくれるのは結局のところ、人です。
どんなに頑張っていても、写真を撮る場所を与えてもらえなければ、どうしようもありません。
媚びる必要はまったくないと思いますが(というか、性格的にできません・・)、
でも大切にしたいという人はたくさんいます。
まわりの人に恵まれている、というのが何といっても幸運でした。

今年もたくさんお世話になりました、というか、まだひとつきありますね・・・。


ではまた。




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