279 「男、カワダマサヒロ、歌います。人生フルスロットル」 2月27日

気が付けば、明日で2月も終わりですね。
今月はそれほど仕事をした記憶もなく、ジムに行ったり遊んだり・・。
穏やかな筋肉痛をずっと維持したままです・・・。

体重は変わらないようですが、心なしか体の表面が固くなったような気がします。
体の表皮が内側に引っ張られているような感じでしょうか。
おなかは固く、少々へこんだようです。

今日は世田谷のハウススタジオで撮影の後、自宅でパソコンにデータを落とし、
そのあいだに駅前のジムへ。
帰ってきて加工に取りかかります。

現像ソフトにもかなり慣れてきましたが、結局のところ、撮る段階でどれほどクオリティを高くできるか。
それに尽きます。
後加工でなんとかできることもありますが、自然に見せるのは難しいですし、
何と言っても、処理に手間がかかり過ぎます。

ポジを使っていた頃のように、撮り直しはできない、という意識を持つ方が良いのは間違いないと思います。
ただ撮った写真がすぐ見られるというのは、緊張感がないし、堕落に誘います。
大事なことはそこでいかに節操を失わないか、ということかもしれません。

こわいですよ。
デジタル堕落は・・・。
僕も何度、はまったことか・・・。


このあいだの休日は草レースに行ってきました。
僕の男の生き様と同様、初めからアクセル全開です。
人生フルスロットル。
新手の演歌のようです・・・。

今までいろんなスポーツをやってきましたが、車はちょっと感覚が違う気がします。
最も興奮しそうな感じなのですが、言葉悪くいえば、とても覚めているのですよね。

ダンゴ状態になって走るレースは経験したことがないので分からないのですが、
僕がやっている時間を競うタイムトライアルでは、ライン取りやアクセル、ブレーキのタイミング、
路面の状態などをとても冷静に見ているようです。

どんなに速く走ってもいつかスピードには慣れてしまうので、
ほかの部分に注意を払えるようになるのでしょうね。
もっと興奮するものだと思っていたのに、その逆だったとは驚きです。

ただそれでも面白いです。
自転車を運転するような一体感が、こんな大きな乗り物でも味わえるのは楽しいです。
遊技場のゴーカートで遊んでいるのと同じようなものです。

誰がいちばん速く走れるか、なんて
昔、ブランコでクツ飛ばしたのと、まったく同じノリですよね。
と言うことは、まったく進歩してないということか・・・。

あーあ・・・。








278 「嫉妬と憧れ」2月22日

生まれて初めて、信濃川を見ました。
日本で一番長い川です。

僕は子供の頃から、ずっと「淀川」で遊んでいました。
秀吉も家康も竜馬も旅した、日本史によく登場する川です。

堤防の幅は2kmほどあるので、子供の僕にとってはかなりの大河です。
釣りをしたり、野球をしたり、当てもなく時間を過ごしたり、
当時の僕にとっては特別で、あの川がそばになければ、違った生き方をしただろうと思います。

正しいとか、間違いというのではなく、
いろんな感受性の基礎をあの大きな空間は与えてくれたような気がするのです。
友人たちと遊べば、楽しみが尽きることはなかったですし、
悲しいときは石段に座って、穏やかな流れをぼんやりと眺めました。

その愛すべき淀川よりも遥かに長い川がある、と小学生の時、
授業で知ったのはかなりの衝撃でした。
あれよりも巨大な川があるのか(長さとスケール感は別ですが、子供にはわかりません・・)

それ以来、信濃川という言葉に対して、子供ながらに不思議な嫉妬と同時に
見てみたいという憧れをつねに持っていた気がします。

伊東温泉のハトヤも感動しましたが、
こんな大人になって、ささやかな夢が実現するとは思いませんでした。

右側に日本海が広がっていて、大陸のような佐渡島がぼんやりと見えます。
編集者のY女史いわく「ロシアかも・・・」
あんな近かったら、すぐに侵略されるやん・・・。

でもいろんな風景がありますね。
まだ見ぬ人々や、景色との出会いはとても喜ばしいことです。

ではまた。

 








277 「光オタク」 2月19日

先日買ったバンク(光るライトの箱のことです)を今日、本番で使いました。
光は限りなく柔らかくて、かつフラットです。
40度に絞れるようグリッドを付けたので(カメラマン以外の人、ほんとすいません・・・)
局部的に柔らかい光を当てることができるので、素晴らしくいいです。
きっちりと黒場が作れるのですよね。
あー買って良かった・・。

でも組み立てるのが、少々面倒なのですよ。
まあ手軽で、いいものはないということか・・・。


しかしこれまでホント無駄な機材を買ってきました。
無駄な機材を語るということは、それは僕の人生を語るということであり、
その逆もまた然り・・・。

買っては売り、売ってはまた買い、そんな繰り返しでした。
新しいものを買ったら、何か違うことができるかもしれない、というのは、
たいていの場合、思い過ごしで、逆に買った機材に撮り方を制約される場合すらあります。

新しい機材を手に入れたからできるようになったこと、というのは意外と無くて、
それよりも、こんなふうに撮りたいから、この機材を買った、という方が考える順番としては正しいのかもしれません。

ずっと写真をやってると撮り方の好みが自分で分かってくるのですよね。
だから機材の種類は少なくなるのですが、よりマニアックになるのかもしれません。
まあ光オタクですね・・・。

傍から見てると「同じやん・・」と思うかもしれませんが、
「諧調が出てる」とか「ハイライトの美しさが違う」とか「空気を取り込んでるよね・・」とか
普通の人が聞いたら、さむー、と思うようなことをひとりブツブツいってしまいます。

さすがにこの年になると、無駄な機材を買うことも少なくなりました。
もう一通りいろんなものを買ったので、自分が馴染めないのが分かるのですね。
機材を買い続けたあの歴史は、無駄ではなかったのだ・・おー。

でも春になると新しいカメラが出てきます。
今のままでも全然問題ないのですが、さすがにメーカーも嗜好をそそるようなものを出してきます。
ただ重いのはホントにもう勘弁してください、という感じです。
あーでも、買うかもしれない・・・。

東京に来たせいか、それとも年齢のせいかは分かりませんが、
かなり趣向が変わった気がします。

すべてにおいて自分が関心のあるものしか、要らないということです。
流行っていてもぜんぜん興味がないものもあるし、その逆もあります。
もともとそんな性質ではありましたが、さらにその傾向が強くなった気がします。

流されちゃいけない、という思いあります。
これはこんなもんだよ、と決めつけずに、ほんと、そうなんだろうか、と
常に自分に問うことを忘れないように、と思います。

もちろん人間ですから、いい加減なことも多々あります、というか、かなり・・・。
でもどうせやるんだったら楽しい方がいいし、いいものを作りたいですよね。


明日また、新潟に行ってきます。
もともと天領のせいか、優れたものが多い街なのです。

ではでは。







276 「お気に入りのスタジオと職業観」 2月16日

肥満型のかわだです。
ひどい筋肉痛であり、花粉症特有の連発クシャミをするたびに、気絶しそうに痛みます・・・。
チーターのように駆け回っていた、あの頃の僕の体はやはりどこへ・・・。


昨日、打ち合わせがあって、またハウススタジオを借りることにしたのですが、
光をコントロールしたかったので、ただ単に明るいだけでなく、暗くもできそうな場所を選びました。
好きなスタジオはありますか、と毎回尋ねられるので、そろそろ自分で決めた方がいいかもしれません。

好きな光とか、背景とか、いざというときは暗くできるとか、
いろんな意味で使い易いとか、あると思うのですね。
なので時間ができたら、好みのスタジオ探しをしておくのもいいですね。


最近、自分の気持ちを伝える時に、あまり断言をしなくなったと思いました。
例えば「絶対」とは書かないですし、真剣な会話で使うこともまずないという気がします。

年齢を重ねると分かってくることも多いですが、
同時に、分からないものだなぁ、と感じることもおおいです。
分からないことがある、ということが分かる・・・。
ややこしいですね・・。

僕もいろんな選択をしながら、今まで生きてきたわけですが、
もちろんカメラマンという職業もそのひとつです。
楽しいですし、充実感もあります。
「でも本当にその選択で良かったのですか」という問いかけがあったとしたなら、
その答えは死ぬ時にしか分からない気がします。
結果論で語るとしたらです。

ひょっとすると、みかん農園を次いでりゃよかったとか(実家はみかん農園ではないですが・・・)
ハエナワ漁師の方が俺の動物的感を生かせたぜ、と思うかもしれません(実家はハエナワ漁をしておりません・・)
釣り少年の僕にとって、漁師は憧れの職業でしたが・・・(卒業文集の将来の夢。釣り師・・)

でも選択というものは、目の前にあるものの中からしていくしかないわけで、
同時に引き返せないポイントのようなものは、あると思います。

僕の感覚からいうと、その自分の分水嶺のようなものは越えてしまったと思います。
もう写真を撮り続けるしかない、ということですね。
覚悟を決めたということです。

もちろんどんな年齢になっても、違う道に進むことはできると思いますが、
素養はそれなりに鍛え上げておかないと厳しいかもしれません。

いろんな人と話して思うことは、
「好きなことはやった方がいい」ということです。

正否とか、結果論なんか飛び越えて、
生まれてきた醍醐味というか、証というか、
そんなもののためにも 「やりたいことはやるべき」と思うのです。

僕はそう感じています。






275 「スポーツクラブ始めます」 2月14日

突然ですがジムを始めます。
三茶の駅前にスポーツクラブがあるのですが、そこに通います。

今日はいちばん初めということもあり、コンピュータによる体型診断というものがありました。
関西にいたときよりも痩せていますし、おなかもへこんだ気がします。
多少、脂肪は付いてきたものの、まあ普通の体型かなと思っていましたが、なんと「肥満型」・・・。

体重が多い割には、筋肉が少なく、体脂肪が多い。
典型的な中高年体型です・・・。
僕はいつからこんな風になってしまったのか。
あのツクシンボのような僕のボディはどこへ・・・。
とほほ・・。

でも機械に両手を触れるだけで、スリーサイズどころか、
首や上腕の太さを100分の1センチ単位で計れるのですね。
不思議です。

それと筋肉量バランスというものがあって、
僕は右腕だけがとても発達しているのです。
「スポーツやってましたか。テニスとか・・」とスタッフの人。
バレーやテニスをしていましたが、それは遠い過去の話。

でも少し考えてわかりました。
機材です。
毎日、重い機材を持っているせいで、右腕だけ筋肉が付いているようです。
そんなことがわかるんですね−。
すごいです。

でも体力がないとほんと、機材を抱えての移動って大変ですし、
集中力も続かないですよね。

暖かくなるまでには、そこそこシェイプして、
今年の夏は江ノ島でビキニを着たいです・・・。
うそです・・。

つづく。







274 「3連休オワリ・・」 2月12日

ブック、出来上がりました。
こんな感じです・・・。

単調にならないよう、大小の写真で組んでいます。
ブックって黒背景が多いですが、白も良いですよね。
あっさりとしていて・・・。

HPの神奈川大学の写真も、作業の都合上、作り替えました。
良かったら覗いてみてください。

そんなこんなで3連休が終わってしまいました・・・。
とほほ・・・。







273 「ブック・・・」 2月11日

今月はまだ3回目ですね。
ちょっとサボり過ぎました・・・。

やっと新しいブックが完成です。
ずいぶんコンパクトになりました。
もう「どうだー」と見せる気負いもなく、かなりクールです。
ブックは力が抜けた感じが見やすいですよね。

あれもこれも入れたい、と思うのは撮った本人の親心のようなもので、
思い入れが強すぎてしまうのですよね。
でもいさぎよく多くを削ってしまいます。
古いものも外します。
涙をこらえての落選であります・・・。

ここの思い切りが大事なような気がします。
セレクトの都合上、しょうがないケースもありますが、
なるべく新しいものだけで構成すべきかなぁ、と思います。

正直いうとブックなんて、過去の栄光のように思えるのです。
自分がこれまでに撮った傑作選なのでしょうね。
だからといって頑張るのではなく、逆に淡々と見せた方が良いように思います。
「 頑張りを見せない程度の温度」でちょうどいいかげんかもしれません。

さらに正直いうと(なんて正直者なんだ・・)あまり過去にとらわれたくない、と思ってもいます。
終わったことはいいから、どんどん先に進みたい、という気持ちがあります。
仕事に関わらず、毎回、どんなことにも真剣に向き合う癖がつけば、過去への執着は不思議となくなります。

いい加減で、なんでも途中で投げ出し、堪え性がなかった僕が、多くの後悔の中から学んだのは、
人との関係、自分の行動、そのすべてときちんと向き合うということでした。
それしか自己嫌悪から抜けられる手段がなかったのですよね・・・。

まあ、そんなわけで熱き魂を持つ僕なのですが、「過去の写真はいいから、今の俺を見てくれー!」
というわけにもいかないので、結局のところ、こそこそと過去の写真を集めるしかなさそうです・・・。

はぁ。

ではでは。








272 「松陰先生とジャズ喫茶とブック」 2月8日

とりあえずすべての納品を終え、ホッとしていますが、
この時間のうちにと、確定申告の書類に取りかかり、昨日納めてきました。

税務署の帰りに松蔭神社に立ち寄って、松下村塾を見たり(雰囲気はいいけど、たぶん本物ではないのでは・・)
吉田松陰先生(この辺りはお膝元?なので、呼び捨てにはしません)のお墓に参ります。

傍らには「長州ファイブ」と書かれた大きな献花があり、松蔭ファンのプロレスラーか、
と思いましたが、どうやら長州を舞台にした映画の題名のようです。

世田谷線で三茶に戻るとその勢いのまま、バスに飛び乗って下北沢へ。
お気に入りのジャズ喫茶で久しぶりにコーヒーを飲みます。
ここは役者みたいな人たちや、何と言うか、いわゆる自由業の人たちが集っているような店です。
誰も大声で話したりしませんが、会話の内容は演じるということだったり、
作家についてであったり、写真であったり、もちろんジャズであったり、
そしてカウンターで深く読書している人たちもいます。

不思議なのが誰もが静かに、そして穏やかに話をするということです。
じゃないと店主に怒られる、ということはまったくないのですが、
みんながとても謙虚な気持ちで時間を過ごしている、という感じでしょうか。


話は変わりますが、またブックを作り直しています。
いいものを作りたいと思うのですが、結構面倒なのですよね・・。

関西のときは軌道に乗ってしまえば、ブックなんて見せる機会はなかったのですが、
東京はとにかく新しい人と会うことが多いので、
ブックなしではなかなか仕事の話が進みません・・・。

おまけに「不在のAD にも見せたいので、ブックは後日、郵送いたします」
とかもよくあるので(おおむね長い期間帰ってこない)、同じブックが2、3冊いるのですよね。

一度作ったら、それでいいという気がしないでもないのですが、
日々写真は更新されるわけだし、いいものが撮れたら入れ替えたいし、
何よりも自分が飽きるのですよね、同じものを見ていると・・・。

でも正直言って、ブックが良いからって仕事が来るわけでもないのですよね。
これを言ってしまうと元も子もないのですが・・・。
誰もが見たこともないような、奇跡のブックを持っていれば話は別ですが、
相性とか、縁ということの方が強い気はします。
特に紹介の場合は、ブックを見る前から仕事が決まっている雰囲気ですよね。
最後に「じゃあ、一応見せてもらいますか・・・」という具合に。
ただだからといって、どうしようもないブックを持っていくのもどうかと思います・・・。

ブックはカメラマンにとって、これまでの軌跡であり、
この先、何を撮っていきたいか、というプレゼンテーションであると思います。
やりたい方向性を見せる、というのは大事なことかもしれません。


ブックの見せ方で変わってきたのは、肩の力が抜けてきたということでしょうか。
まずブックサイズがどんどん小さくなります。
もともとはA3だったのですが、でかすぎて見にくいので、B4になり、
それでも重たいのでA4になりました。

さらに写真を縮小して、A4の中に見開きをふたつ入れようかという新手の見せ方を考えています。
すべてを小さくするわけではないですが、適切な大きさもあるかと思います。
そして簡単な解説を打ち込んで、ちょっとした編集本のようにできればと考えています。
単に写真を見せるのではなくて、きちんとデザインしたものを見せるという感じでしょうか。

今日は製本のことで出力センターに行って、いろいろ聞いたのですが、
結局のところ、家に帰っていろいろ試してみると、家のプリンターでできるじゃん、ということに気がつきました。
今日、わざわざ新宿まで行ったのは、いったいなんだったのか・・・。
なんでこんなに要領が悪いのか・・。

おまけに方針が変わったため、明日また、マット紙買いにヨドバシか、ビックカメラに行かなくては・・・。
あーあ・・。









271 「壷井栄と不自由と自由」 2月4日

今日は素晴らしく天気がいいですね、というか、毎日いいです・・。
まあ特に今日は暖かいです。

ベランダから緑道を見ていると、なんだかどこかの田舎町に来ているようで、
ちょっと懐かしい気持ちになったりします。

東京は古い風景が多いですね。
将軍の鷹狩りの場所がそのまま、公園になっていたり、
かつての何かに由来する町名がたくさんあるような気がします。
三軒茶屋もそうなのかもしれません。

「二十四の瞳」の作者である壷井栄が、世田谷三宿から太子堂に引っ越してきたとき、
隣家は林芙美子夫妻だったといいます。
太子堂なんて目と鼻の先ですからね。
こんなところでそれぞれが、創作活動していたのかぁ、と町並みを見て感慨にひたります。

当時、キャロットタワーはなかったものの、西日本に比べて抜けのいい光や、
夏の南風が運んでくる潮の香りは当時のままなのでしょう。

作家は誰もがそうだと思いますが、上京後、しばらくは食べ物にも困る生活をしていたと聞きます。
瀬戸内の島で育った壺井にとって、東京での海の匂いは記憶をよみがえらせる、
スイッチのようなものだったと僕は想像しています。

今もいろんな人々がそれぞれの夢を持ち、東京で暮らしているように、
かつてもきっと同じだったのでしょうね。


これが正しい言い方かどうかわかりませんが、ここは創作意欲を高める勢いのようなものを持っている気がします。
もちろんどこに住んでいても、資質があれば素晴らしい作品は作れるのだろうし、
その地域ならではの独創性もあると思います。
でもある種の人にとっては環境も大事、と僕は考えます。

自分の思想を頼りに、無のようなところから作り上げるのではなく、
僕のように「見たものから」「聞いたことから」インスパイアするタイプは、特に環境が大切です。
いろんなものを消化しながら、その環境に合わせて、アウトプットしていく、ということでしょうか。

ちょっとだけ深みに入ってしまいますが、僕たちは常に不自由の中で写真を撮っています。
逆に「ご自由に」といわれても途方に暮れてしまいます。
不自由という枠のようなものは、実はとても大切なことです。

でも僕たちは自由であることを求めています。
ただ心からの自由を求めているのではなくて、自由の枠を少し広げたい、とたぶん僕たちは考えています。
多くの人々が望む自由というのは、そういうことなのだろうと思います。たぶん。

東京に来て、カメラマンとして写真を撮り、感じたことは「自由の外枠が広い」ということです。
つまり、より自由ということですね。
ストライクゾーンが広い、という方が分かりやすいかもしれません。

そんなこと初めは分かりませんし、悲しいながらこれまでの習慣のせいで、
ど真ん中ばかりに投げてしまいます・・・。
ですがそろそろイビツに広がったストライクゾーンが、体に刷り込まれてきた感触があります。
環境や空気を消化し、取り込むのは、生来、苦手な方ではありません。

僕は理論派ではなく、直感型なので計算ということがあまりできません。
吸収したものを自分の中でシャッフルして、出すことしかできないのですね。

写真はほとんどの場合、仕事ですから好きなように撮るわけにはいきませんが、
でも許される環境ではどんどん変化球を投げられれば、と思っています。

そんなわけで頑張ります。
長くなってすいません。
では。


top