610 「2008年、年末」 12月29日

ジムに行き始めてもうすぐ2年になります。
よほど忙しくないかぎり、週3回通っています。

走るのはキツいし嫌いですが、それでもジムに行けない日々が続くと
逆に調子がおかしくなる気がします。
体を動かす、ということが生活の中に組み込まれているのでしょうね。

全力で体を動かすということは、爽快感というか、
何か自分の中の澱みのようなものを、吹き飛ばしてくれる気がします。
限界に近いところまで、酷使するので
ちょっと野性的な感覚に近いのでしょうか。

たまにウエイトをあげるとき「グォー!」と声が漏れてしまうことがあって、
クマ男と名付けられていないか、と不安になったりします。

2年前は体脂肪25%で(笑えない・・)脂肪多めを通り越し、隠れ肥満でしたが、
走り続けた甲斐があったのか、13%になりました。
たぶん地鶏みたいな体になっています・・・。


話は変わりますが街はものすごい人ですね。
渋谷なんて人が歩道に収まりきらず、車道に溢れています。
明らかにオーバーキャパシティですね。

三茶もまるで観光地のごとく、人が集まっています。
これといった目的もなさそうなのですが、休みに入ったせいか、
みんな、どこか楽しそうな雰囲気です。

でもさすがに年末ギリギリになると、
この人波もどこかへと消えてしまうのでしょう。
そして穏やかな年始がやって来るのでしょうね。

年内、日記を更新できるか、わかりませんが、
とりあえずまた来年ということで。

いつも日記を読んでいただいて、ありがとうございます。
今年もたくさんお世話になりました。

では良いお年を!


 

 

 

 

 

609 「明確さ」 12月22日 

昨日の夢は買ってきた、ヘッドフォンのコードが短すぎて、
ランニングマシンに挿したらひどいことに・・・。

短さのあまり背中をまっすぐに伸ばせなくて、
腰の曲がった老人のように走ります・・・。
買い物はきちんと確認してからしましょう。
あーあ。


買い物をする時に必ずコダワっているポイントがあります。
それはその商品が持つ個性です。

高いとか安いとか、そんなことはさておき、
どういう意図を持って、それは作られたのか、ということです。

何がしたいのか。
もしくは、どこに向かおうとしているのか。
それらが明確なカタチになっているものに、僕は惹かれます。

それはカメラでも、車でも、何でもそうです。
車なら分かりやすそうですね。

例えば電気とガソリンで走るハイブリッド車というものがあって、
高いし、重いし、走ってもつまらないし、まあデザインは好みですが、
さあ、乗るぞ!と思わせるようなワクワクする車ではありません。
でも何を目指しているかは、よく分かるんですよね。

一方、荷物も人ものらない2シーターオープンの
ムダムダさもかなりのものであります。
でもその開放感と走ることの楽しさを味わうと、
どのような意図を持って作られたものなのかという、メッセージが伝わります。
ただ走るだけで楽しいんだな、と再確認したり。

美意識の高い友人にはまったく評価されなかったGショックという時計ですが、
スケボーで転倒し、時計が削れるほど強打しても、
サーフィンでものすごい水圧にさらされた後、温泉に浸けられたりしても
まったく何事もなかったかのように動いているんですよね。
あんたはすごい・・・とあきれるほど感心してしまいます・・・。

その意図がマーケティングから離れた純粋なものであるほど、
強く感動するような気がします。
誰がどう思おうが、自分はこんなものが作りたいんだと。
素敵だな、とあらためて思います。

もちろんそこには面倒や我慢が必要だったりするのですけど、
魅力がそれを上回れるか、ということなのでしょうね。

そんなわけですので、今年も頑張ります。

ではでは。

 

 

 

608 「根性をやめて吸引薬にします」 12月21日

人生3度目のインフルエンザです・・・。

1度目は制作会社にいた頃、フラフラで起き上がれず、
急遽、カメラマンを交代してもらいました。

2度目は上京後、撮影中にヒートアップ!
体はこわばり、この全身のゾクゾク感はなーに?

車のシートヒーターを最高温度に、
そして暖房を30℃にセット!
で、ユラユラ揺れながら、表参道から帰ってまいりました。

でも翌日は休みだったので、このときはさほどの緊迫感はありませんでした。
あーまた、かかっちゃったか、という程度です。

ですが、今回は翌日にキツい仕事があって、
普通でも大変だな・・と思うものでしたから、ちょっと焦りました・・。

その日は家で簡単な撮影があっただけでしたので、朝からジムへ。
ウエイトトレーニングをこなし、1時間走って、30分バイクに乗ります。
少々、関節が痛いなぁ、と思いつつも、筋肉痛が残ってるんだなと走ります。

すると悪寒が・・・。
ああ、汗をかいているからな、気化熱だよ、これは、と
何でも前向きに考えられるのが、これまた僕の良いところです。

目一杯、バイクを漕いでいても、普段ほど汗が出てこない。
ああ、オレもとうとう次のステージに進んだんだなぁ、余裕だよ、
と、何事もやはり前向きに考えられるのが、これまた僕のすごいところ。

が、バイクを降りて、歩く感じが千鳥足・・・。
ありゃりゃ・・・これはちょっとやばいのでは・・・。
と思いながらも、まだインフルエンザだとは気がつかない。
何度も経験しているにも関わらず、これは違う、と信じない。
言わずもがな、スーパーポジティブですから・・・。

普通にご飯を食べて、家に帰る。
撮影はまた別の日に、ということで、明日の撮影に備えて眠ろうと、ベッドに。
まあ、ちょっと熱でも計ってみるかと、軽い気持ちの体温計が38度4分。
ちょっと動揺・・・。

これは風邪だ・・。
インフルエンザの熱はこんなもんじゃないんだから、と自分に言い聞かす。

暗闇の中、目を覚まします。
暑い、そして同時に熱い・・・。
おそるおそる見た体温計の数字が、39度を軽くオーバー!
ヤバーイ、ちょーヤベェ!ちょー気持ちいい!、あ、いや、まじヤベェ!

薬と水をたらふく飲んで、寝るしかないと一度ベッドに入るものの、
再度起き上がって時間を確認したら、まだ5時45分。
まだ診療所が開いてる!と寝癖のついたまま、家を飛び出します。

が、高熱のせいか、風景が揺れています。
僕自身、まるで月面を歩いているよう・・・。
知り合いが見ていたら、ああ、なんかヤバいことをやってんじゃないか、と勘ぐられそう。

診療所で熱を測ったら、39度5分。
わぁ、すんげぇ熱があるよ、あはは、となんだかとてもテンションが高くなっています。
オレ、めっちゃ熱出せんじゃん、ちょー可笑しい、みたいな・・・。
やや、こわれ気味です・・・。

先生に無理矢理、注射を打ってもらい、吸引薬を貰います。
家に帰ってベッドに入る頃には、熱も37度台に。
吸引薬って、ほんとに効きますね。
今までずっと根性で治してきたのに・・・。

そんなわけで翌日のロケも問題なくこなすことができ、
いやぁ、ほんと助かりました。

しかしながら疲れましたね。
仕事を休むことも難しいし・・・。

みなさんもお気をつけ下さい。
では。






 

 

607 「休刊、再編、そして変わるということ」 12月15日 

最近、仕事をしていると以前よりも
お金の話を耳にすることが多くなったような気がします。

ギャラがどうした、経費がなんだ、みたいな、
いかに切り詰められるところを切り詰めていくか・・。

まあ、会社ですからそんなことは当たり前なのですが、
「クオリティを下げてもいいから、コストを抑える」みたいな話を聞くと
なんとも難しい時代に突入したものだなぁ、と気分が重たくなります。

M社からPという雑誌が復刊することになり、
その創刊号に携われることができました。
今の時代、創刊というのは珍しいですし、おまけに売れている、
という嬉しい知らせもいただきました。


しかし残念なことながら休刊が多いですね。
えっ、ホントに、と驚くような休刊もあったりして、
出版業界の本格的な再編が、始まりそうな予感です。

僕自身が関わらせていただいていた仕事も休刊したり、
もしくは規模が縮小されたり、前向きな話を聞くことが少なくなりつつあります。

でも休刊というのは今に始まった話ではないですからね。
いい雑誌と呼ばれるものほど、淘汰されてきました。

「良いものを作れば売れる、ということでもないんだ」ということ。
時代が求めてないんだからしょうがない、というのは簡単ですが、
でも良いものが売れない世の中が、まともだ、とも思えないんですよね。
どこかに歪みがあるような気がしています。


と、いうことを考えつつも、そんな時代であることを、 ただ嘆いていてもしょうがありません。
どんな理想を描いていても、今、目の前にある現実はこうなのだ、と
それらを受け入れて前に進むしかないのでしょう。

昔はこうだった、とか
オレはずっとこうやってきた、とか
過去の経験は大事だけど、時代は少しずつ変わっていきます。

自分たちが直面している事象に適応していくしかないわけで、
たとえば僕たちであれば、写真に対する真摯さや、
何があっても絶対これでやっていくんだ、という強烈な覚悟が必要だと思います。

でも諦めなければ、どんなに大変だとしても、必ず活路は開けていくのでしょうね。
今だからこそ出来ること。
変われる機会がたくさんあるような気がします。

ではまた。

 

 

 

606 「詩とオペラ」 12月7日

今朝、佐渡裕さんの「題名のない音楽会」で
谷川俊太郎さんが朗読をしていました。

穏やかな口調で語られる詩が、とても心に届きます。
気持ちが静かに揺さぶられました。


子供の頃は詩の時間が嫌いでした。
算数同様、やる意味が分かりません。
存在理由ですよね。

しかしながら、詩の語りを聴いた後に、
「ぼんやりとした何かが心にとどまっている」ということは
感じていたような気がしています。


ある時、たぶん3、4年生の頃、詩を書きましょうという最悪の授業が・・。
頭を抱えて、うーんと唸っている僕に対して先生は
「きれいにまとめる必要はないのよ。感じたことを箇条書きにしなさい」
そう言いました。

当時、よく望遠鏡で眺めていた月をモチーフに、言葉を綴っていきます。
月は白く光っていて、海と呼ばれる場所があり、でもそこは風のない平原で、月はかたちを変える。
まるくなったり、とんがったり、ここから月が見えるということは、月から東京タワーも見える。
と、いった箇条書き。
それを詩に・・・。


 月は白い
 月はひかり
 そこには海があって
 でも本当は風のない平原

 月はかたちを変える
 とんがってる
 まるくもなる
 でも僕はとんがったのがいい

 望遠鏡で月が見える
 東京タワーは見えない
 月からは東京タワーが見える

 夜は寒い
 夜は夜の音がする


こんな感じの詩。
書けた自分に驚きました・・・。
オレでもやればできるんじゃん、と。

大きな望遠鏡を担いで河川敷に持って行き、ひたすら東を眺めます。
東京タワーどころか、枚方パークすら見えません・・・。
おかしい・・・。
月のクレーターが見えるくらいだから、東京は見えて当然と思っていた当時・・。

夜の音というのはバイパスの音でしょうね。
少し離れたところに1号線のバイパスがあって、
夜にだけ、その喧噪が届いていたようです。
夜の街の音ですね。


こういう詩とか戯曲的なものは、自分の感性から最も遠くにあると思っていました。
ですが20代の後半、イタリアでオペラを見る機会が・・・。
こんな苦痛があって良いものか・・・。

プレビュー、試演ということもあり、タキシードは免れましたが、
何時間もクラッシックな劇場に閉じ込められるハメに・・・。
当然ながらイタリア語。
全編、何を言ってるんだか、さっぱりわかりません・・・。

でも強く心に響きます。
喜び、恋人を失ったことの悲しさ、そんな感情が
表情と歌を通して、僕の気持ちを圧倒的に揺さぶります。
正直、感動しました。

なにより僕が驚いたのは、オペラを見て感激する素養が自分にあった、ということでしょう。
脳ではなく肌で感じるんだという、最も具体的な経験だったかもしれませんね。

チャオ!




 

 

605 「トップとニコン」 12月6日

ちょっとカメラマン向けです。
すいません・・・。


最近、トップライトが僕の流行です。
通称、トップと言いますが上部から当てる光のことです。

普通、光は横から当てて陰影、つまり立体感を出すことが多いですが、
トップの場合は垢抜けない印象の光になります。
日本の太陽光はこのトップの時間が長いですよね。

ただその垢抜けない朴訥さゆえ、
被写体の不器用さが強く心を打つときもあります。

北の国からの五郎を撮るなら、このライトですね。
「教えてくれよぉ、一体どうしちまったんだよぉ、純!」
今日、僕は何も話さないと決めた訳で・・・、
それは蛍や草太兄ちゃんに対しても、同じ気持ちでいると思われ・・・、
と、今日はこれくらいでいいですか・・・。


僕がそもそもトップを多用するようになったのは、
生の光で出来る強い影をコントロールしたい、というのが始まりでした。

条件によってはオパ(流行のライト)も悪くないです。
少々メタリックな、くぐもった感じを伝えたい場合はいいですが、
今の気分としては生の光の爽快感といさぎよさに強く惹かれます。
そう、すべては気分なのです・・・。

いい加減みたいですが、人の行動なんてほとんどが気分だし、景気だって気分です。
でもその気分や印象をいかに、そっと掬い上げるか、ということが、
僕たちの仕事には大切なんだろうと思います。
時代の空気のようなものなのでしょうか。


すっかり話は変わりますが、ニコンが2000万画素を出ました。
イヤッホー!
今はキャノンですが、ニコンは応援しているメーカーなので、これでやっと買い替えられると。
2000万画素あれば、ほぼ仕事で困ることはないと思います。

しかしながら現実問題、レンズのシステムを考えると
数が足りない気がしないでもありません。
それとDXとかAFとかVRだとか、メーカーが変わるとまったくわかりません・・・。

突然、すべてを買い替えることはできないので、
まず買うなら、とりあえずニコンの入門機でしょうか。
でもこれも何がいいのか、さっぱりわからないんですよね。
ほとんど素人同然です・・・。

よし、ヨドバシに触りに行くぞ!・・・と思いましたが、レタッチが残っているのでありました・・。
トホホ。

ではまた。







 

604 「カメラと自己責任」 12月1日

35ミリ、6×6、645、67、4×5といろんなサイズのカメラを使ってきました。
が、結局のところ、35ミリが好きだなぁ、とシミジミと思ったりします。
自由かどうかはさておき「いちばん不自由ではない」というのがその理由だと思います。

もちろんデメリットはたくさんありますが、プライオリティからすると
「制約を受けない」というのはとても大切です。
きびしい現場をともに戦うわけですから、相棒であり、そして同志でもあります。

カメラマンの経験値が上がってくると大きなカメラになりがちですが、
「35ミリでカッチリ撮れない人は、どんなカメラを使っても撮れません」と
昔、太陽の編集の人に言われた時、そりゃそうだなぁと納得した覚えがあります。

35ミリはスナップ用、なんて思われていた時代ではありましたが、
手持ちで撮れる、というのは他のカメラでは真似できない、最大の個性なのでしょうね。

デジタルになって35ミリの大きさでありながらも、
新聞紙サイズにまで伸ばせる解像度は素晴らしいです。
いや、ほんと、助かります・・・。


以前、超過激なヨットレースのカメラマンをしている外国人男性が、
波に揺れるヨットのデッキで白い望遠レンズのついたEOS-1を
愛おしそうに抱きしめている写真がありました。
そこからはお互いの親密さが伝わってきます。

ああ、そうだよね、カメラってそういうもんなんだよ、と
あらためて僕たちは「道具と生きている」ということを実感しました。


で、そのデジタルカメラでどこまで引き伸せるのか、というのは
人によってまちまちで、ずいぶんといい加減な時代が続いていました。
ですが最近はノイズも少なくなり「1000万画素あれば見開きいける」というのが、
一般的な認識になってきている気がします。

律儀な人があいだに入ると「2000万画素ないと困ります!」というケースもありますが、
雑誌でしたらほぼ問題ないのでしょう、トリミングしなければ・・・。

昔は「どのカメラ持って行こう・・」なんてすいぶん悩んだものでした。
リュック背負っての撮影で「基本、スナップなんだけどさぁ、見開きも一枚欲しいんだよねぇ・・」と言われ・・。
つまり67も背負って来いっていうことかぁ!なんとー!・・ということもよくありました。

上京して間もなく、憧れていた「翼の王国」の仕事をすることになり、
どんなカメラを使えばいいですか、と尋ねたところ、編集長にエラく怒られました・・・。
「そんなことは君が決めなきゃいけないんだ。
 たとえポスターの撮影でも君が考え抜いて、35ミリがいいというのなら、誰も文句は言わない。
 自分のイメージを伝えるために最善を尽くす。それが写真家の仕事なんだよ」と言われて痺れました。

言い方は悪いですが、すべては自己責任なんだな、と思いました。
自由にしていい。ただし責任は取れ、と。


この日記を書き続けてきて思うのは、ずいぶん怒られてきた、ということです・・・。
上京する時に「オレはまだまだ怒られる環境で、もっと成長するんだ」と言っていたものの、
ほんとにこんなに怒られるとは思っていなかったです・・・。
でもその叱りがどれほど的を射ていて、かつ自分の心に染みたことか・・・。

経験からきた言葉って、強く心に響きますよね。
みんな、同じような苦い経験をして、そんな言葉を持つに至ると思うのです。
言われたときは頭にきたりするんですが、冷静になって考えてみると、たしかにそうだなぁと反省したり。

時間をかけたから、人の性質が変わるわけでなないんですよね。
一瞬にして、人は変わるものだと思っています。
もちろん表現も。

そしてそのキッカケが言葉だったりするんですよね。
面白いです。

ではまた。


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