581 「速写!」 7月31日

あー1週間も書いていませんでしたね、
すいません、すいません・・・。

ちょっとだけバタバタしておりました。
連日、築地で仕事していて、マグロのセリの撮影が朝5時スタートのため、
近くのホテルに宿泊しておりました。

3時前に起きて、市場内のスナップ撮影。
セリが始まると、ウロウロしてんじゃねーよ!、邪魔なんだよ!
と罵詈雑言を浴びつつも、僕も仕事ですから撮らない訳にはいきません。
バカ野郎!俺だって仕事で撮影に来てるんだよ!ガキの遣いじゃねえんだ!
グチグチ文句言ってんじゃねえよ、このナスビあたま!
・・・と言いたい気持ちを抑えながら、こっそりと、しかし確実に撮っていきます。
男カワダマサヒロ、そこはプロです。

ここ一年ほど、常にカメラをぶら下げ、速撮りを鍛えたおかげで、
おっ、いい!と思ってから、カメラを構え0、5秒で撮れるようになりました。
もう縦写真だか、横写真だか、何ミリのレンズが付いているか、よくわからなくても、
とにかくシャッターを切り続けます。

あまりに慌てててカメラをしっかり持てていない時もあったりして、
シャッターボタンを押すつもりが、ぜんぜん違うボタンを押しているのですね、これが・・。
もちろん写真は撮れません・・とほほ。

でも不思議ですけど、うまくいけばそんな気持ちのたかぶりのようなものが、
写真の中にきちんと収まっているのですよね。


以前はどちらかというと、考えて考えてシャッターを切る、という撮影が多かったし、
また好きだったのだろうと思いますが、今はまったく反対のようです。
まったく考えません・・・それじゃバカですね・・まるで。

構図や露出、ピントなどがどうでもいい、とは思いませんが、
今は何か感じた一瞬を、全力で封じ込めたい、という想いがとても強いです。

タイミングがありますから、静物の撮影のように上手くなれば良い写真が撮れる、というものでもなく、
その確率を上げるためには、いかに速くシャッターが押せるか、ということに尽きるのだと思います。

もちろん静物と違って、動く被写体ですから、かなり他力本願的ではあります。
ものすごく上手くいくときもあれば、絶望的なときもまたあります。
ただそのギャンブル性に高揚し、惹かれるのでしょうね。

ちなみにプライベートではまったくギャンブルしません。
しかしながら座右の銘は「人生ギャンブル」です・・・。

ではまた。






580 「円山公園の夕暮れ」 7月23日

ここんところホントに暑いですね。
今日も機材抱えて横断歩道の信号待ちの時、
肌がジリジリと焼けている感触が・・・。
これホント・・・。

そのうち肌がパチパチッなんていいそうです。
サンマを焼いているみたいに・・・。
もうかなり色黒です・・というか、
冬から黒かったですね。

雪焼けから、そのまま紫外線の多い連休まで
引っ張れました・・と言っても自慢するようなことではないですが・・。




家の横にある円山公園です。
いい季節になりましたね。

木々も日ごと成長し、軽く30mはあります。
そんな木々が林立する光景は結構、迫力があります。

どけどけー、やっほー!



特に斜光になる夕暮れは、ここ円山公園においてとても素敵な時間です。
子供の喧噪も去り、日没までは穏やかで、
木のベンチに座って見上げる森の風景は格別です。

曲はsignがはまりますね。
とても優しい気持ちになれます。





579 「英会話カフェとプライオリティ」 7月17日

このあいだ、英会話カフェというところに行きました。
その存在は知っていましたが、ネットで調べたら
いちばん良さげなところが、家の近所にありました。

どのようなところかといいますと、当然のことながら喫茶店になっておりまして、
やや高めのコーヒー代で外国人とフリートーキングが楽しめるというものです。

入会金も要らず、好きな時に行って帰れるので、とても気楽です。
ただレッスンではないので、会話のミスを指摘されることもなく、
互いが通じればどんどん会話は先に進みます。
それゆえある程度、英会話ができる人が勘を取り戻すためだとか、
リスニングを鍛えたい人にはいい環境かもしれません。

ほんとは中国語を習うためにネットで探していたのですが、
中国語はカフェ形式で学ぶには少々、無理があるようです。
もしそんなフリートーキングがあったとしても、何も話せないat all・・・。

英語でしたら普通、それなりの基礎知識があるわけですが、
中国語はまったく成立しないですね、これでは。
やはりピンイン(音を文字で表したもの)などから習得せねばならず、
そうなると中国語学校で授業を受けるのが最も効率が良さそうです・・・。

しかしながらこの男カワダマサヒロ。
今から中国語を習得し、一体どこに向かおうとしているのか・・・。
北京はこの夏で終わり、目指す次回はロンドンだというのに。
頭の中が4年間ズレてるのでは・・というか、いつもズレズレなのでした・・・。

でも旅に出れば、どんな国でも観光客と接する人々は英語が話せるのですよね。
お互いが外国語で深く話すのは難しいですが、
それなりの意思の疎通ができれば良いのでは、と思っています。


そんなこともあり、英会話カフェで2時間ほど過ごします。
久しぶりにしっかりと話したせいか、脳の違う部分が疲れました。
あいかわらずデタラメだったり(いわゆる体当たり系の根性英語ですね・・)
忘れていることが多くて、ここ数日間、ひとり英会話に取り組んでいます。

「オー、リーリィ、ザッツナイス!ではミディアムでお願いします・・・」とか、
「この馬のオーナーは私だ」みたいな、おそらく生まれ変わっても使わないであろう、お前は何人だ的センテンス。
そんな感じで語学力を日々、磨いております・・・とほほ。


でも語学にしろ、何にしろ、そこそこ突き詰めていくためには、
動機というか、目的というか、そういったものが明確であった方がいい、という気はしています。
そしてプライオリティ、優先順位ですね。

たぶん頑張れば中国語が話せるようになるだろうし、
1万メートル走だって、そこそこのタイムで走れるようになるかもしれません。
でもそれは大切にすべきことから、遠ざかる行為のような気がしてなりません。

若いときはいろんな経験を経て、そこからたくさんのことを学べばいいと思っています。
それでその人となりが形成されて、自分が夢中になれるものを見つけられるのが理想です。
僕もそうでした。

ただある場所で特化した何かを持とうとするなら、
「ひとつのことにどれだけ強く集中できるか」ということに尽きると考えています。
普通の人が想像できないほど、狂気めいた集中の中から生まれてくるものが、たくさんあります、
というか、優れたものはそんな衝動と粘りからしか出てこないのかもしれません。


楽しくやりがいを持って生きていくのか、
それとも困難だと知りつつも高みを目指すのか。
何を大切にするかは人それぞれです。
仕事なんかよりも愛が大事だ、と言われれば、その通りです、と頷くしかありません。
生きていくための目的や動機は人によって違います。
ただそれを決めたら、今、何をすべきかというプライオリティが見えてきます。


たぶん生きるってことはマラソンのようなものなのでしょう。
ゴールは遥か彼方です。
リラックスしていきましょう。

ではまた。













578 「華僑」 7月11日

今週は郊外での撮影でした。
都心から離れていくのは、なんとも気楽ですね。
同じような撮影でも、ゆるゆるとリラックスして臨めます。

撮影の後、三茶に戻ってジムに向かいます。
終わって携帯を見ると湘南カメラマン、ノジョーからの着信が。
留守電を聞くと三茶のモスにいるとのこと。
10km走った後にまたモスまで走ります・・・。
僅かでしたが楽しい時間でした。


相変わらず憑かれたように映画を見ていて、
最近はインファナル アフェアという映画が心に残っています。

おそらく数年前、話題になった映画だと思います。
トニー・レオン、そしてアンディ・ ラウ。
この二人がメチャメチャかっこいい・・・。

東京の街も外人の手によって映画に撮られたら、
かなり怪しい魅力的な舞台になりますが、
街全体が魔宮のような香港にはかないません。
最もアジア的なカオスですよね。

大陸的な中国本土とはまた違う、
独特で、でも惹かれる怖さが香港にはあります。
しかしながら僕はそんな街や中国人に昔から、
強い憧れを抱いています。


僕がLAに行ったのはまだ10代の頃。
高校を卒業して間もなく、望んで行ったものの単身ですから、
不安でいつもビクビクしていたような記憶があります。

言葉なんてまったく理解できないし、
住んでる場所はメキシコ人街の一角だし、
おまけにすぐそばの黒人街には2mくらいのマッチョマンがゴロゴロいました・・。

そんな環境の中でまだ子供のような僕が、自分らしく振る舞えるわけもなく、
自分が何もできないことを初めて痛感した体験だったかもしれません。
おまけに経済摩擦だかなんかで、日本はアメリカに叩かれまくられて、
日本車が粉々に砕かれ、それでも日本人はそれに対して猛抗議するわけでもなく、
なんだかそんな日本人であることに失望していた時期でもありました。

ですがあるとき、サンフランシスコの中華街で
大きな白人に食って掛かる華僑の人を見た時に僕は感動しました。
相手に媚びず、言うべきことは全力で主張する。
そんな姿に僕は素直に感銘したし、勇気を与えられました。

もちろん日本人の接し方の美徳もよく理解しているつもりです。
ただそれは外国では通用しない。
そんな感覚がまだギリギリ成長過程だった自分には、
驚きとともに強く、深く擦り込まれていると思う時があります。

どんな環境でもいきいきとした生命力を持って、強く生きること。
そんなことを僕は華僑の人たちから学んだ気がしています。


今、押し入れを探したら、アルバムが見つかりました。
たしかロッキー山脈を横断しているあたりだと思われます。
懐古趣味はまったく無いのですが、今の男カワダマサヒロと比べて、
あまりに子供っぽくて、驚いたのでアップしました。

笑って下さい。
ではまた。











577 「アスリート」 7月4日

こんにちは。
オーマッチョマッチョかわだでございます。

ジムに通いだして15ヶ月ほどになります。
相変わらず走り続けていますが、室内とはいえ、
暑くなってくると結構、キツいものがあります。
その甲斐あってか、ここ数ヶ月で体脂肪がかなり減りました。

15ヶ月前、初めて自分の体脂肪を知ったときの驚きといえば、
子供の頃、大きな黒目だと信じていたのは、パンダの柄だった・・と同じくらいの衝撃でした・・。

「脂肪多め」を軽くクリヤーし、「隠れ肥満」に両足突っ込んでいましたが、
今は成人男性の平均値よりもかなり低く、普通の人としてはもう少し体重を増やさねばなりません。

筋肉量も増えたせいか、ジムの機械による測定では、
もう少し頑張れば「スポーツ選手」の体格になります。

男カワダマサヒロ、一体どこに向かおうとしているのか・・・。
この年齢で何になろうとしているのか・・・。
目指せロンドン!

・・というか、自分が走ることで改めてアスリートたちが
どれほどすごいものなのか、ということを実感できます。
僕はジムに行けば、まず1万メートル走ります。
おおよそ1時間くらいです。

素人としてはそれほど悪いタイムではないと思いますが、
今の時点では限界に近いです。
それでも体調の悪い時なんかは、
途中で嫌になるほど大変なので、
そんなときは後ろからサイが追っかけてくるイメージをします・・・。
こわすぎますよね。
すると不思議と走れちゃうんですよね、これが・・・。

それほど必死で走って1時間ですが、オリンピックレベルの女子では
30分ほどで走り切ってしまうのです。
倍の早さです。
これはですね、正直、僕にはあり得ないタイムなのでした。

平均時速が20kmですが、真似するとおそらく足が絡まってコケます・・・。
20kmは普通、出せないんじゃないでしょうか。

ホノルルマラソンとかで、4時間切ったらすごい、なんてよく言われてて、
ふーん、そんなもんなんだ、と思っていましたが、自分が走るようになってよくわかりました。
そいつはすごい、と・・・。

さらに男子フルマラソンなんて、2時間ほどですからね。
もー考えただけでダメになりそうです・・。
ほとんど人間じゃないのかもしれません。

そんなわけでロンドンまであと4年。
男カワダマサヒロ、このペースで間に合うのか。
いやひょっとすると短距離にこそ、奇跡の才能を開花させる何かがあるのか・・・。
それともスピード社をはるかに上回る水着が、なんとかこっそり手に入らないか・・。

終わりなき、姑息な戦いは続く・・。





 


576 「北海道のパン屋さんと風景写真」 7月1日

ちょっと用があり、週末に帰阪してきました。
ひとつは友人の1回忌の法要です。

僕が会社に在籍していた頃の女性の先輩で、50歳の若さで亡くなりました。
その病気について、ほとんど誰にも知らされず、
最終的には北海道に住むお姉さんを頼って、食事療法を続けていたそうです。

どうしてもパン屋をしたいという夢を叶えるために、
お姉さんと天然酵母を使ったお店を士別に開店。
その半年後に亡くなったそうです。

写真を撮るのが好きでそのアルバムを見せていただきました。
それは白樺林や起伏の続く丘など、多くが北海道の風景写真で、
おこがましい言い方ですが、そのどれもがとてもよく撮れていました。
病気の体で大変だったと思うのですが、毎日、撮り続けていたそうです。
なかなかプロでも、こう撮ることはできません。

力強く生き生きと躍動しながらも静けさを感じる風景写真でした。

亡くなる間際に撮られた写真が、
こうも静けさをたたえているものだろうか、という驚きがありました。
上手く言えませんが、未来にきちんと折り合いをつけ、
そして自分に向き合っているという姿勢があったのかもしれません。
どこか達観したような眼差しすら、それらの写真からは見えるようです。

もし彼女が生きていたら、僕が聞いてみたかったことは、
どうして最後まで写真を撮り続けたのかという、その理由です。

命の灯火が消えようとしている時に写真を撮ろうとした動機は、
おそらく僕たちが写真を撮り続ける熱のようなものと同じだと、ふと考えたりしました。

でもそれは存在理由とか、自己表現だとか、そんな陳腐なものではなくて、
もっと何か、生命の根源の部分に関わっているのではないでしょうか。
頭で考えるのではなくて、もっと野性的な部分の感覚のように思えたりします。


心よりご冥福をお祈りいたします。
素敵な写真でした。



HPより転写させていただきました。


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